『むしろウツだから結婚かと』第6話~みんな違って、みんないい。けどそれだけじゃない
本日2月10日に『むしろウツなので結婚かと』の第6話が更新されました。
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今回は多様性に潜む罠のお話をします。ナニソレ関係あるのかよこの話にってかんじですが、関係あるんです。
えー、多様性というのは生き物にとってとても大事なことです。
一つの要因で種が絶滅したりすることを避けるために多様性は必要です。多様性あればこそ環境や社会の変化に適応できる個体が残って、種が生き延びることができるわけで。
みんな違って、みんないい。素敵な言葉です。
いろんな人間がいるからこそ、人類にはいろんな可能性があるのですから。多様性って本当に素晴らしいですね。
とまあ、こうやってひたすら多様性の素晴らしさを讃え続けることはいくらでもできるわけですが、そこに
罠がないわけでもなく、多様性で苦労することってのもあっちゃうんですよねー。
さて、それではここで抗うつ薬による治療の流れを簡単に書きます。
まず抗うつ薬というのは色々な種類があります。その種類についての説明はここでは省きますから、興味ある方はwikiとか見ればいいじゃない。
医学の世界は進歩が目覚ましく、抗うつ薬も様々なものが開発されています。
新しい薬の方が副作用が少ないとかメリットが色々あるわけですが、体質的に古い薬の方が効くという方もいらっしゃいます。
このたっっくさんある抗うつ薬。誰がどれを飲んでも効くというわけではありません。
Aさんにはよく効く薬が、Bさんにはほとんど効かないということもよくあるのです。だからこそいろんな種類の抗うつ薬があるわけですね。
これこそが多様性に潜む罠です。すべての人間の体が完全に同じものではなく、個々人によって様々な体質があるからこそ、薬の効き方も変わってきてしまうのです。
まあこれは抗うつ薬に限った話ではありません。抗がん剤なんかもそうです。既存の薬が効きづらい人がいるからこそ、そういった人たちを治療するために新しい薬の開発が続けられるわけです。
さてこの多種多様な抗うつ薬。どの薬が効くのかというのは飲んでみないとよくわかりません。
ですから、治療が始まった時に処方された薬が効くかどうかは確実な話ではないのです。
更に抗うつ薬というのは飲んですぐ効くものではありません。効果が現れるまで大体2週間ぐらいかかると言われています
というわけで辛くてたまらない中、藁にすがるような思いで真面目に薬を飲み続けて2週間経ってみたら
「この薬効かないじゃん!」
ということがわかったりするわけです。
そんでしょうがないからまた今度は別の薬を試してみる。
2週間。効けばいいなと願いながら。また効かないかもしれないと怯えながら。
合う薬が見つかるまでは、基本的にこの繰り返しになります。
どうですかこの流れ。
ソシャゲのリセマラにすごく似てると思いませんか。
そんな事言われてもよくわかんないリセマラって何? とお思いの方のために説明します。知ってる方はこのあと数行飛ばしてください。
リセマラとはリセットマラソンの略です。ソーシャルゲームはしばしば開始時に、強いキャラやアイテムが当たる「かもしれない」ガチャ(という言葉すら知らない方はクジだと思ってください。似たようなものです)を回すことができるようになっています。
このガチャは何回でも好きなだけ回せるものではなく、多くは有料です。しかも当たりと言えるキャラやアイテムが出てくる確率はかなり低い。
であるがゆえに、ゲーム開始時に無料で回せるガチャで当たりが出るとたいへんありがたいのです。ゲームを始めてからラクが出来るし、次にまたガチャを回せるのはいつになるかわからないし、回せても当たりがでるとは限らないから。
というわけでこの無料ガチャで当たりが出なかったとき、ゲームをスマホから削除してもう一回インストールし直してガチャを回し直す人がけっこういるのです。このゲーム削除再インストールを、納得のいく結果が出るまで繰り返す作業。これをリセットマラソン、略してリセマラと呼ぶわけです。
「ええー、なにそれめんどくさい。何度もやり直すくらいなら、当たりが出なくてもいいからそのまま遊んだほうが楽しくない?」
とお思いの方。実は私もそう考えちゃう派です。めんどくさいですよねえ、そんな繰り返し。いつ出るともしれない当たりを追い求めてどれだけの時間を費やすのか、考えただけでも気が遠くなります。
実際、同じ絵を見て同じことを説明されて同じ作業を繰り返すことに飽きちゃったり、リセマラが辛すぎてプレイを始める前にゲームを止めてしまう人もいるくらいです。
でもね。
自分に効く抗うつ薬にめぐりあうためのリセマラは、もっと過酷なんですよ。
どんなゲームだって、一度リセットするために2週間かかったりはしません。2週間がかりのリセットを繰り返さなくちゃいけなかったりはしません。
というかこれがもしゲームだったら、好んでプレイしようと思う人はまずいないでしょう。なんだよ2週間ワンセットのリセマラって。
それなのに病気の治療だからこれはやらなきゃいけないわけです。現実ってマジ厳しいですね。
セキゼキさん(仮名)もご多分に漏れず、初回から当たりを引くことはできなかった組でした。
病院に行きたがらないセキゼキさんを説得するために、こちらとしては
「とにかく行けばいいから! 薬飲めばラクになれるから! ね! ね!」
とかむちゃくちゃ言いまくっていたわけです。過酷なリセマラが存在することなんて伏せちゃってね。いや伏せて悪かったと思ってますよ? でもただでさえ病院に行きたくなくて仕方ない人に、こんな話をしたらもう病院拒否の姿勢を強めるだけでしょ!? そりゃ言えませんよ、言いたくても。
そんでセキゼキさんは私の言うことを信じると決めたからこそ病院に行ったわけです。それなのに。
「やっぱり精神科はあてにならない!」
「薬を飲めばラクになるって言ったのに、全然ラクにならないぞ嘘つき!」
とかまあ、そりゃ言いたくなるよねー、ということを言われましたねハイ。あれが辛くなかったといえば嘘になりますが、私よりもセキゼキさんのほうがずっと辛かっただろうと思います。
セキゼキさんはそれでも比較的早く、それなりに合う薬が見つかりました。しんどいリセマラも一ヶ月程度で済んだんですから、かなり運が良かったのです。人によっては年単位で合う薬を求めてさまようことになりますからね……
でもね。
運が良くてもなお、なんとかなるまでの一ヶ月はものすごくしんどかったです。
多様性、本当に素晴らしいし必要なものだとは思いますが、物事はなんでもいい面ばかりじゃないんだなって、実感させられたのでした。
『むしろウツなので結婚かと』第5話~あなたのためにという言葉は、いついかなるときもウツクシクナイ
本日1月27日に『むしろウツなので結婚かと』の第5話が更新されました。
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今回は、お話の最後にセキゼキさんが(仮名)
「病院に行く」
と言い出したときに、私が感じたことなどを書きます。
セキゼキさんがどうして病院に行くと言い出したのか、私には心境変化の理由がわかりませんでした。
なんだかわかんないけどこの人行くって言ってるし、ここで下手に「なんで?」とかきいたらやっぱり行かないとか言い出すかもしれないし、じゃあまあ理由なんてどうでもいいからとにかく行こう!
と判断したのです。
ですからまあ今回のマンガのためにいろいろ話をしたりすると、
「へえ、ホッカイルソー……わかる由もないな」
で感じになります。
いやまあセキゼキさんの北海道時代の話は知っていましたし、ホッカイルソーのことも聞いていましたけれども。でもだからってわからないですよ。
「小学校時代の校長先生が鍵でしたー」
とか
「高校時代の部活の先輩の名前を出せば、説得できましたー」
とか後から言われたようなこの気持ち。
まあでもこの「セキゼキさんいつのまにか病院に行くって言い出したぞ事件」、いや事件ではないですが、ここには重要な示唆が含まれています。
結局セキゼキさんを治すのはセキゼキさんだということです。
私は当時、頑張っているつもりでいました。
セキゼキさんを支えなくてはと思いつめていました。
そうするとだんだん、自分が主体のような気がしてきちゃうんですよね。
私がちゃんとやれば、しっかり頑張れば、セキゼキさんはよくなるんだ! だからもっと頑張るんだ!
とか思ってしまうんです。
ぜんぶ錯覚なんですけどね。
そのことを忘れちゃうと、いろいろ辛いことになりますセキゼキさんも私も。
私にはセキゼキさんを治すことはできない。
主役はセキゼキさん。
病気をよくするために病院に行くのも、薬を飲むのも、きちんと生活をするのも。
全部セキゼキさん自身の選択。
私はこう選んでほしいんだから、セキゼキさんもそう選ぶべきというのは通らないのです。
もちろん、私はこう選んでほしいとお願いすることはできます。ですが強要することはできません。
仮に私の強要した選択でセキゼキさんの身に何か悪いことが起きた時、私がその責任を取ることはできないのですから。
誰だって、他人の人生や選択にきちんと責任を取ることなんてできないのです。
人生を代わってあげることも、時間を巻き戻してあげることもできないのですから。
そんでそこに気づくと今度は、
「じゃあ私って何なんだろう?」
「私がいなくても変わらないんじゃないの?」
などと考えたりもするわけです。
けれど自分が何なのかということに関して言えば、答えは案外すんなりと出ました。
私はつまり、「観客」なのです。
最前列の客です。
観客だから応援することはできる、拍手をすることも、称賛することもできます。
ですが観客は舞台に介入できない。当たり前のことです
どんなにハラハラしても、明るい未来を願っても、舞台に立っているのはセキゼキさんであり、物語を作るのはセキゼキさんの選択なのです。
では観客の存在は無意味なのか?
それもまた違いますよね。
観客がいるというその事実が、力をもたらすことはあるのです。
一生懸命頑張って、相手のために心を砕いて、それなのに思いが届かないときはあるでしょう。
あなたの願いとは裏腹の物語が、紡がれていくときもあるでしょう。
だけど元々観客というのはそういうものです。
舞台の上の誰かは、決して思い通りにはならない。
すべての演劇、ドラマ、映画、マンガ、小説が、自分の願望通りに進行してくれるわけないですものね。
だけどだからってひとは、物語を鑑賞することをやめたりはしないのです。
スポーツでも同じことが言えます。
どんなに強いチームでも、ファンの期待を裏切って負けるときはあります。
けれどそれでファンを辞めるような人は、滅多にいません。
セキゼキさんは、なかなか私の願い通りには動いてくれませんでした。
だけどそれでよいのです。
観客でしかないってことは時々さみしかったりもどかしかったりもしますけど、それでも大切な役割ではあるのですから。
『むしろウツなので結婚かと』第4話~石油王ならすべては解決
本日1月13日に『むしろウツなので結婚かと』の第4話が更新されました。
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セキゼキさんは、とにかく病院に行きたがりませんでした。
会社はこの時、かなり好意的に処理してくれていました。とはいえ、診断書もない状態で仕事を休み続けるのには限界があります。
今後休職するにしろ辞めるにしろ、とにかく病院に行く必要は絶対にあるんだというのが私の認識でした。
ところがセキゼキさんはそれに猛反発。
病院に行ってもいいことなど絶対にない。
ただ辛くて嫌な思いをするだけ。
それくらいなら病院に行かない。
会社が認めてくれないならこのままクビでいい。の一点張りでした
まあ、私が石油王か何かでしたら、セキゼキさんの要望を優先するのもありでした。
「労働など気が向いた時にすれば良い。そなたは好きなようにせよ」
などと鷹揚に片付けて、セキゼキさんが会社をクビになったら油田の一つもプレゼントすればいいからです。
ですが現実として私はただの一般庶民。それもやや貧しい方でしたので、そういうわけにもいかないのです。
お金、福利厚生、雇用の安定。そういうものを精いっぱい大事にしながら生きていきたいのですよ!
会社からは診断書を取得して、傷病手当金を申請するようすすめられていました。
傷病手当金の申請が通れば、今までの給料の三分の二ほどの金額を最長一年半受け取りながら休職ができます。
そんなお金、貰った方がいいに決まってるじゃありませんか。
というわけで私には、このままクビでいいというセキゼキさんの主張は到底受け入れられませんでした。
そもそもお金だの仕事のことがなかったとしても、病気なんだから治療の必要はあるわけですし。
どうすれば病院に行ってくれるのか、毎日頭を悩ませていました。
どんな本を見てもどのサイトを見ても、ウツの疑い濃厚な人間を病院に連れて行く方法は教えてくれません。
たとえば意識を奪って無理やり連行するとしたら、スタンガンで気絶させるのと鈍器で殴るのだとどちらのほうがオススメなのかとか、そういう具体的で実践的な知識が欲しい! と私は思っていました。
気絶した180cm超の大男の運搬方法も教えてもらえないので、結局どちらの方法も諦めたのですが。
あれから何年も経ちますが未だに、あのときの自分がどうするのが正解だったのかがわかりません。
自分がうまくやれていないのは分かっていたし、反省点は思い浮かぶのですが、じゃあどうすれば良かったのかというのは思いつかないのです。
考えているとやっぱりスタンガンで気絶させるのが手っ取り早かったのでは、という結論が出そうになったりします。まあその場合、かなりの確率で私に前科がついてしまいますが……
これはなかなか絶望的な話です。もしあなたが今、身近な誰かを病院に連れて行けなくて困っているのだとしたら、こんなことを聞かされてもどうしようもないですものね。ただ辛くなってしまうだけ。
しかしながらたった一つ、これだけはやっておいたほうがいいと、おすすめできることがあります。
しっかり食べて、しっかり寝ること。できれば毎日、何かを楽しんで笑える時間を持つこと。
健康で元気な自分で居続けるのです。難しいことだとは思いますが。
少なくとも、私には難しかったです。親しい人間がすぐ傍で眠れなくて食事もとれなくて笑顔なんて忘れて苦しんでいるときに、自分はしっかり食べて眠って笑っていようなんて、なんだかすごく気がとがめました。
ですが、それは必要なことだったのだと思います。そもそも寝ない食べない笑わないで私が献身的に尽くしても、別にセキゼキさんはよくなったりしませんからね。むしろ悪影響ですから。自分のせいで周りを苦しめていると感じてしまう。
一心同体、異体同心。仲良く寄り添って心を一つにするというのは、人類の憧れの一つですし、そういう思いが人を救うことはあると思います。
ですが親しい人間同士であっても心が分かたれていること、どれほど近くにいても二人が他人であるということも、時として人を救うのです。
親しい人が病気になったとしても、あなたは健康でいられたほうがいい。
病院に行きたがらない相手を説得するのは確かに容易ではありません。けれど弱った人間が健康で強固な人間を説得するのは、更に困難なことでしょう。
二人の主張が平行線を辿れば、最終的に音を上げるのは弱っている方だと、私は思います。
もちろんこれは、とても残酷なことです。
相手は必ず苦しみ、辛い思いをするでしょう。
ですがそれを嫌った優しさによって、適切な治療を受けずに病者が放置されることになるならば、それはただの害です。
いつか自分は必ずこの人を病院に連れて行くんだ。
だからそれがいつになってもいいように、自分自身の状態をできるだけ良く保とう。
そう決意することが、まずは第一歩なのではないでしょうか。
『むしろウツなので結婚かと』第3話~なんでそこが混ざった?
本日12月30日に『むしろウツなので結婚かと』の第3話が更新されました。
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今回はマンガの中には描かれていないけれど、あの夜に起きた出来事の話をします。
さて私はずいぶん昔、ブログに「集団墓参り」というお話を書きました。
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このお話は何だかちょっとほのぼの文で書いてあって登場する私も落ち着き払っているんですけれども、実際には全然こんな風ではありませんでした。
だってここに出てくる出来事は、ウツになったセキゼキさんがぐるぐると歩き続けたこの夜に起きたことだったのです。
この時、セキゼキさんはとにかく暗くて狭い道を選んで歩き続けました。
なんでそんなことをしたかっていうと第二話の中にあったように
「シロイの知らない場所に行って、会社の人間を呼び出したりできなくするため」
です。
(だけどこっちには会社の人間を呼ぶ気なんて全然ないんだから、早く明るい方に帰りたいんだけど!)
と私は思っていました。
寒いし暗いし人気はないし、このままイイトシした大人ふたりが土地勘のない場所で迷子になってしまうんじゃないかという危惧も抱いていました。
「会社の人、絶対呼ばないから。天地神明にかけて誓うから」
「春とはいえ夜は冷えうので、とても帰りたいんだけど」
「せめてもうちょっと明るいほうにいかない? 明かりは大事だよ?」
などと声をかけるのですが、その都度セキゼキさんは意地になったかのように暗い方へ向かっていく始末。
途方に暮れて私は黙り込み、セキゼキさんはひたすらに歩き。そうやってどんどんどんどん進むうちに、街灯すらまばらになってきました。
少し前までは住宅地の中を歩いていたというのに、もう人家のたぐいはほとんど見えません。
(これは……怖いな……)
セキゼキさんをなんとかなだめなくては落ち着かせなくては、という思いでいっぱいだったはずの頭の中にいつしか闇への純粋な恐怖が湧き上がってきました。
突然、セキゼキさんが立ち止まりました。
「どうしたのセキゼキさん?」
反応はありません。じわっと不安が広がり、私がもう一度声をかけようとしたその時。
セキゼキさんは意を決したようにぱっと走り出しました。
私はその姿を目で追い、なんとセキゼキさんがよりにもよって墓地の中に駆け込んでいくのに気が付きました。
「ええええ、なんじゃいそらああ」
予想外の展開に虚をつかれた私が呆然としていると、すぐに
「うわああああ」
という叫び声が聞こえて、セキゼキさんがこちらに走ってきました。なんというお早いお帰りでしょう。
セキゼキさんはなぜか両手を盛んにパタパタと顔の周りで動かしており、その様子は蜘蛛の巣に突っ込んでしまった人のように見えます。
そしてセキゼキさんは
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
と言いながらすごい勢いで走り去っていきました。
「え……?」
私は何が起こったのか掴めずに立ちすくんでいる間にも、セキゼキさんの背中はどんどん遠ざかっていきます。
(これはもしかして……なにかとても……危険な状況なのでは?)
「うっわああああああ」
そして結局私も、似たような声を出しながらセキゼキさんを追いかけました。
(やめろよおおオオオ! 夜の墓地からごめんなさいとか言いながら駆け戻ってくるのマジ禁止! 恐怖の! イマジネーションを! これ以上ないほど効果的に刺激されてるぞ今ああ!)
とにかくあのときの私には、パニックに陥る権利がかなりあったと思います。
私たちはしばらくがむしゃらに走り続け、やがてセキゼキさんが走るのをやめました。
けれど息を切らし辛そうにしながらも、止まろうとはせず歩き続けます。
「あの、セキゼキ、さん」
私は息を整えながら尋ねました。
「なにが、あったの、かな? 教えて、欲しいん、だけ、ど」
「は、墓場の、中に、はい、入ったら」
「入ったら?」
「ごじゅ、五十人くらいの人が、墓参りを、してて……その人、みんな。急に入ってきた、おれに腹を立てた。みたいで。す、すごい目つきで睨んできたんだ。こ、怖かった。追いかけられたら、どうしようかと思って。走って逃げた」
などと切れ切れに話すセキゼキさん。
「それ絶対にありえないんだけど。だって全然人の気配しなかったというか私の見える範囲では人いなかったし!」
「じゃ、じゃあ一斉に撤収したのかな……?」
とか言い出すセキゼキさん。
「いやいやいや一斉に撤収ってなんだよ? それこそ絶対に気配するでしょ五十人の撤収だよ? と言うかこの話全体的になんなんだよおお! 怖いんだよこの暗くて誰もいないどこともしれぬ場所でさあああ!」
「お、落ち着けシロイ」
「落ち着けって落ち着けって、落ち着けっておま……」
(誰が誰に落ち着けって言うべき夜なんだよ今日は! ちょっとそこ考えろよなああ)
「いいか、すぐオカルトめいた方向に考えてしまうのはシロイの悪い癖だ。やめよう。あの人だってただ単にすごく座高が高いだけだきっと」
「はい? 座高? どういうこと?」
私が聞き返すとセキゼキさんは視線をそらし、
「今その話はやめよう。急ごう」
いきなり早足になってどんどん進み始めます。
「え、ちょっと待って、置いてかないでっ」
必死に追いかけながら、私の頭の中はもうぐちゃぐちゃでした。
(うわああああん、やめろよおおおおお)
(怖さを! 混ぜるな! 頼むから!)
(身近な人間が突然メンタル患って電車に乗れなくなるとか、それだけで既にすごい恐怖じゃん! 私はもうお腹いっぱいなんだよ! なんでそこでジャンル違いの怖さをぶっこんでくるんだよ???)
ジャンルを統一するためにオカルト的発想をやめてみるのですが、それでも怖さの解決はしません。
(セキゼキさんがそういう幻覚を見てるんだとしたら、それはそれでとてもまずいし! 薬物やってるとかだともうぐちゃぐちゃだなオイ!)
(そんでもってオカルトでも幻覚でもなく、現実に墓場に五十人もの人がいて、そんで誰かに目撃されからって音もなく一斉に撤収したんだとしたら……)
それこそが最もヤバくて怖いんじゃないか、ということに更に気づいてしまう私。
(は、犯罪絡みのジャンルだったら一番まずいんだけど!)
思い出すのはマンガ版パトレイバーで、グリフォンの機動実験を偶然目撃したばかりに殺されてしまったカップルのことなど。
(ひゃ、110番は……駄目だあああ、ここがどこだかもよくわからないっ! そもそも警察になんて言えばいいかわからない!)
「五十人ほどで墓参りをしている集団がいたのですが消えました。中には座高の高い人がいました。目撃したのはウツになって電車乗れなくなった私の彼氏です」
(うん意味が分かんない! 警察に電話はやめよう!)
そうこうするうちに走りやめたセキゼキさんはいつのまにか方針を変え、明るくて広い道のほうに向けて歩くようになっていました。
おそらくなのですが、あの時怯えきっていたのは私一人ではなかったのでしょう。セキゼキさんも怖くて、この際会社のこととか全部置いといて人家と明かりが恋しくなっていたのではないでしょうか。
おかげで私たちはやっと駅に戻ってくることができたのです。
「駅だよセキゼキさん! もう帰ろう」
私の言葉に、セキゼキさんは嘘のように素直になってうなずきました。
それから私たちは帰宅してカレー食べたわけですが、ほんと美味しかったですよねあのときのイカカレーチーズトッピングは。
かえってきた、と思いました。
もちろんセキゼキさんがウツによって社会の枠組みから外れたという問題は未解決でしたし気持ちはわりと暗いままでしたが。
それでもホラー世界から普通の現代社会に還ってきたってそれだけでも結構尊く感じられましたよねあの時。
クリスマス目前! はじめてのマジックグッズはコレだ! 減量ver
クリスマスが目前に迫ってまいりました。
「子供が『手品を始めたい』って言い出したからプレゼントしたいんだけど何を買っていいか分からないんだよ」
という方のために。直前過ぎてもしかしたら手遅れかもしれないと思いながらも、私の独断と偏見に基づいたおすすめを紹介いたします。
子供に初めての手品道具を聖夜にプレゼント。すっごくいいですよねそういうの!
オススメしない部門
さて、まずは
「はじめてのマジックグッズとして多くの人に買われてはいくが、それに手を出したらアカン」
と個人的に思っているものを紹介するところから始めます。
「おいおいオススメだけ粛々と紹介すれば済む話だろう」
とお思いのあなた。それは確かに正論ですが、あなたが何も知らずに売り場に行った場合、これらのアイテムを買って帰ってきてしまう確率が異常に高いんですよ! だからあらかじめ言っておくんです。あくまであなたのために言っている。信じろ。
スポンジボール
スポンジボール
これはとても良い商品です。実演で見せてもらえることが多いのですが、見るととても欲しくなります。だからみんな買います。そういう魅力に溢れています。
ですが、おすすめしません。
理由は簡単、スポンジボールは難しいのです。
人前で見せてそれなりにウケを取れるようになるのにたぶん半年くらいかかります。
せっかく買ってもらったプレゼントを披露することもできず、黙々と半年間練習に励むことができる子供って、たぶんかなり稀です。
あなたのお子さんがそういう希少種でないのであれば、避けるのが無難でしょう。
ダンシングケーン
ダンシングケーン
ダンシングケーンはとても良い商品です。
幻想的で夢のある現象。これも実演見ると欲しくなりますね。
ですがオススメしません。
必要な練習量が半端じゃ無いんですよこの商品は。
ダンシングケーンを買います。
帰宅して開封し、説明書を見ます。
ふむふむこうやるのね、と思いながらやってみる。
ここで99%ほどの人が挫折します。誇張ではありません。頭に拳銃を突きつけられて
「挫折は許さねえ……!」
とか謎の悪漢に脅迫されたら、もしかしたら泣きながら続けるかな?
ですがそんな悪漢が現れてくれる可能性はとても低いので、
「ねえこの説明簡素すぎない? どうなってんの?」
と思いながらみんな折れていきます。ダンシングケーンというのは、そういうものなのです。
例えば自転車を買って説明書を読んで、それで乗れるようになる人がいますかって話なんですよ。
自転車と同じように
「これいつの日かできるようになるのかよ?」
という疑問を抱きながら練習を重ね、ある日できるようになるしかないのです。
しかもダンシングケーンの場合は自転車と違って指導者がいない。たった一人で挑むしかない。
獅子すら我が子をここまで深い谷に突き落としませんよ。ましてやあなた、ホモサピでしょう?
「…っ! それでもいいおれは……獅子を越えるっ!!」
という方。東京ディズニーランドのマジックショップで売っているミッキーマウスのダンシングケーンをおすすめします。限定販売だから東京ディズニーランドの中でしか売ってないやつ。
あれはよくできていて、とても扱いやすい商品です。しかもお手頃価格。これなら挫折率が98.5%くらいに下がるかもしれません。
上記二つのマジックは、お子さんのお近くにマジックの指導者がいるのであれば、逆にオススメです。
実演販売を見てつい買っちゃったのであれば、その実演をしてくださったディーラーさんに教えてもらうのが良いでしょう。
実際、実演販売を見てマジックを始めてその流れでディーラーさんに師事し、長じてプロマジシャンになった方というのはけっこういらっしゃいます。
コレ買っておけば無難じゃないですかね部門
マジックブック
マジックブック
「とにかく簡単にマジックしてえ。安くてお手軽なのに盛り上がるやつ!」
というワガママな要望をばっちり叶えてくれる商品です。
簡単だから子供でもすぐに実演できて大満足。それなのに起きる現象は鮮やかでわかりやすくて観客も大喜び! というスグレモノです。
マジックセット
マジックワールド
主に子供用で、複数のマジックを詰め合わせたセットです。ごめんなさいこれについては全然詳しくありません。
いろんな商品がありますが、迷ったらtenyoの商品を買えば良いと思います。
マジックを愛していてよく知っているメーカーが、初心者でも使いやすくお求めやすい商品を開発している。それがtenyoです。マジックをよく知らないメーカーがとりあえず出している商品とは「ちゃんとしている」度が全然違います。
今後お子さんがプロユースにも耐える高品質商品を求め始めたら物足りなくなるかもしれませんが、それまではtenyoに見守られ育まれていこうではありませんか。
子供へのプレゼントしてマジックセットはまさに王道ですよね。
子供でもすぐにできる手品が詰まっていて、ちょっと練習すれば家族や友達の前でショーを見せられるようになります。
ここから手品の喜びを知っていく人も多いのではないでしょうか。
しかしながら真のオススメはこっちです。
だけどね。
マジックブックとかマジックセットとかは、私のオススメではないのですよ。
マジックセットを買いました。すぐできて楽しいです。友達にも見せました。満足したので押入れにしまい、二度と出しませんでした。
結局これが一番よくあるシナリオなんですよ
マジックセットはたいていの場合、子供を一年楽しませることができないんです。せいぜい数日。数週間もったら御の字です。
それで満足できますか?
年に一度のクリスマスプレゼントですよ。できればそれは子供の成長とか今後の人生の喜びとか生涯続く趣味とかに繋がってくれたら、嬉しいじゃありませんか。
マジックというのはなかなか良い趣味なんですよ。自分がやっていたからそう思うわけですけど。
趣味ってのはなんでもそうですけど、練習と学びを繰り返して達成感を得るという、素晴らしい喜びがあるじゃないですか。
そしてこの喜びは、人生のあらゆる局面で人を支えるじゃありませんか。
達成感の乏しい人生を送るってなんか辛いですからね。
マジックの何が素晴らしいかと言うと、いろんなレベルの達成感を得られるところなんですよ!
道具さえ揃えれば実演できる、手軽に得られる喜びもあります。
練習がむちゃくちゃ必要だけどできるようになると凄まじい達成感が得られるものもあって、そういう達成感を得るためのルートがたくさんあるところがいいんですよ。
この練習と学びと達成感の繰り返しをね、子供にぜひプレゼントしてあげたいんですよ私は!!
バイシクルの赤と青
バイスクル トランプ ライダーバック 青赤
というわけで私がお勧めするのはまずトランプ。
そんでトランプなら何でもいいわけじゃないんです、USプレイング社のバイシクルを買ってください。
「なんでその外国の会社のトランプ買わなきゃいけないの?」
日本国産で流通しているトランプはたいていプラスチック製です。そんでプラスチックトランプは絶縁体で滑りませんので、カードマジックの重要なテクニックができなくなってしまうことがあるんですよ。
だから紙製のカードが必要なんですけど国産トランプは二枚貼り合わせ方式のものが中心で、紙の腰が弱いのです。
バイシクルは三枚貼り合わせ方式で腰が強く、滑りもよく、扱いやすいカードですから、とにかく最初はそれを買いなさい。
そうやって、カードマジックを始めなさい。
なぜカードマジックなのか? 答えは簡単、カードマジックというのはものすごく豊かだからです。
たとえば中から花が出てくる帽子があったとしますよね。
その帽子は他の事は出来ないんですよ。帽子がハンカチに変わったりはしないし、帽子の色が黒から赤になったりもしないんです。花を出す。ただそれだけ。
だけどカードはそうじゃないのです。
カード当てもできる、カードの色を変えることもできる、出現するカード、消えるカード、移動するカード、集まるエース。
カードマジックを始めてみれば一組のカードが生み出す世界の広がりに、目を見張ることになります。
だからバイシクルをまず買うのです。
赤と青を両方買う理由は、二組あることで更に広がる世界があるからなんですけど、そこから先は自分で学んでいこうな!
「ラリー・ジェニングスのカードマジック入門」
新版 ラリー・ジェニングスのカードマジック入門
さてカードを手に入れたなら、それをどう使うのかということを学ばなくてはなりません。
入門書が必要です。最初の一冊は重要です。
手品の入門書は数多くありますが、私が選ぶのはラリー・ジェニングスです。
なぜならこの本は
- 解説イラストが良質
- 初心者が身につけるべき技法の解説がわかりやすく順を追って掲載されており、レベルアップに最適
- 掲載されているマジックが名作ぞろい
という入門書としてこのうえなく親切な作りをしているからです。
まず一番目の美点。手品の解説書というのは、文だけでは駄目なのです。どうしても
「左手はこの角度でカードをこう持って、その上から右手をこうかぶせてそのとき右小指をぎゅっと寄せて」
みたいな情報を説明するための視覚情報が必要になります。
そしてそのためには写真よりも圧倒的にイラストの方がわかりやすいのです。
優れたマジック本は解説イラストが良質でなければなりません。
わかりやすさで言ったら今の時代動画なんじゃないのという意見もあるかと思います。
だけど動画じゃなくて本とイラストのほうがすぐれている部分があるってことを説明する文章を昨夜書いたんですけど気持ち悪いくらい長文になったから削りました!
というか他にもいろいろ削ってますから、減量前の長文が読みたい奇特な方がいらしたらぜひTwitterでご連絡を。気持ちの悪い長文がDMでかえってくることでしょう。
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そして二番目の美点。ここが「ラリー・ジェニングスのカードマジック入門」で一番優れているところだなって思うんですけど技法の解説が良いんです。
カードマジックをやる上ではやっぱりテクニック、これを技法って呼ぶんですけど、それをたくさん習得していく必要があるわけです。
カードの切り方、並べ方、配り方、数え方、広げ方、持ち方。
そういった数々の技法を習得しないとカードマジックはできません。
この本では、基本的で有用で重要な技法がわかりやすくしっかりと解説されています。
この本に載っている技法を一章から順々にステップアップしていけば読み終わる頃には、クロースアップマジックの中級者一歩手前くらいにはなっているんじゃないでしょうか。
そして三番目の美点。掲載されているマジックの選択が優れています。
この本に載っているマジックのネタ数は決して多くはありません。ですが、どれも粒ぞろいの名作です。演じることができれば観客のウケが良いものばかり。
掲載されているマジックのネタ数で言えばもっとたくさん載っている本もあるんですけれども、技法に紐づいて厳選された名作が載ってるという点ではラリージェニングスの入門辞典は本当に優れています。
巻末のカードマジック傑作選の「まぼろしの訪問者」とか「タイクーンエーセス」とか大好きなネタです。
というわけで
赤と青のバイシクルと「ラリー・ジェニングスのカードマジック入門」は、あなたのお子さんがマジックという世界に興味を持ち、その道を歩き始める時のこの上ないお供となります。
すぐに見せられるマジックも身につくし、半年くらいみっちり練習すれば一端のクロースアップマジシャンと言えるようになるのではないかと。
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『むしろウツなので結婚かと』第2話〜訂正できないのが妄想だ
本日12月16日に『むしろウツなので結婚かと』の第2話が更新されました。
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今回はその第二話の中でセキゼキさんの身に何が起きているのかという話をします。
会社に行けなくなってしまったセキゼキさんは
「みんなおれに怒っている」
「もう許されない」
「仕事ができない自分は人としてダメだ」
などと自分を責める言葉を口にするようになったわけですが、この過剰な罪悪感と自己嫌悪と自罰的な態度はウツの間ずっと続きました。マンガで描かれたこの夜だけではなかったのです。
別に一日中
「おれはだめだ」
と呟き続けているわけではありません。それに近くなるときもありますけど、せいぜい長くて数時間程度のことですよ。24時間の大半は、そんなことは言わずにいます。
ですが行動とか考え方のベースには常に「おれはだめだ」という確固たる信念が、どすっと居座っているように思えました。
例えばタンスの角に足の小指をしたたかにぶつけるようなことがあれば、セキゼキさんの頭も痛みでいっぱいになります。罪悪感も自己嫌悪も自罰も何もかも忘れてしまうでしょう。
けれどそれはあくまで表面上のことで、そういう目先の刺激がなくなれば心の底に沈んでいる
「おれはだめだ」
がまた表面に浮かび上がってくるのです。
私は何度もセキゼキさんに
「考えすぎだよ」
と言いました。そんなことないよ大丈夫だよ誰も怒ってないよとか、そんなこと。そういう慰めの言葉が役に立ったことは、一度もありませんでした。
おれはもうダメとか、物がちゃんと考えられないとか、自分の能力に疑念を呈するようになってるくせに、だったら何でここで私の意見に賛同しないんだこの人は! どうせ自分が信じられないんだったら、とりあえず私の判断を全面採用してみてもいいだろうが!
というのは結構よく思いました。
ひたすら後ろ向きなこと考えて何かいいことあるのか? ないだろ! じゃあやめようよ!! ということも思いましたし、口にしました。
だけどそういうのは最初から無理なことだったのです。私はずっとセキゼキさんに、不可能な選択肢を選ぶよう迫っていたのです。
なぜならセキゼキさんのその過剰な罪悪感はそもそも、ウツのもたらす「妄想」だったからです。
私がそのことに気づいたのは、少し経ってからのことでした。
精神医学の世界で言う妄想には、一次妄想と二次妄想という分類があります。
一次妄想は「なんでそんな突拍子もないことを信じ切っているのかわからない」もの。第三者には了解できない妄想のことです。
- 秘密組織に狙われて盗聴されている
- 毒電波であやつられている
- 自分はナポレオンである
などです。
そして二次妄想は、第三者からみても「なんでそういう思い込みを持つようになったかなんとなくわかる」妄想です。
- 仕事でミスをしてしまった→職場の人はみんな自分を嫌っているに違いない
- 身体がだるくてやる気がわかない→自分は不治の病で死に瀕しているに違いない
などです。
この分類はあくまで便宜的なものであり、一次妄想にも本人なりの根拠と理路があったりしますので、実際にはきれいに分かれるものではないのですが、一応こう分けます。
そして統合失調症では一次妄想が多く見られるのに対し、ウツで見られる妄想は基本的に二次妄想であるというのが特徴となります。
セキゼキさんが
「おれはもうだめだ」
と落ち込むとき、その思い込みは私にとって突拍子がなくて理解不能なものではありませんでした。
三十代の働き盛りの男性が仕事に行けなくなったらそりゃ落ち込むだろうな。
いきなり仕事に穴をあけたら、会社の人間にどう思われてるか気になってもおかしくないよな。私だって病欠したら職場のこと気になったりするし。
そういう一定の理解があったからこそ私は、
「それはちょっと考えすぎだよ」
とセキゼキさんを説得しようとしたわけです。もしも仮にセキゼキさんが、
「外出すると『機関』がおれの命を狙ってくる」
とか
「盗聴器で頭の中の考えを抜き取られてしまう」
とか、そういう一次妄想らしいことを言っていたのならば、私は最初から彼を説得しようとはしなかったでしょう。
もともと私は、妄想というものについての知識を少し持っていました。不熱心な学生ではあったけれど一応心理学を専攻していましたし、知人に精神科医がいたこともありましたし。精神医学をきちんと体系立てて学んだわけではありませんので、それはあくまで素人の半端な聞きかじりに過ぎませんでしたが。
それでもその聞きかじりの知識も、ないよりはマシだったのです。
「会社だけじゃない、家族だっておれに怒っている」
とセキゼキさんが言い出したあたりで私は、
(さすがにこれはおかしいな?)
と気づきました。会社の人間のことを信じられないのはまだわかりますが、家族のことまで疑うのはあまりにも病的に感じられたのです。
実際、セキゼキさんの家族はこういうことで人を責めるような方たちではありませんでしたし。
(にも関わらずこの人は、家族が激怒していると思い込んでる。無根拠に。いくらなんでも罪悪感がすごすぎる。この病的な罪悪感の凄さはもしかして……)
罪業妄想、という言葉を私はやっと思い出したのです。
ウツの妄想は以下の3つに分類されます。
- 自分が病気であると思い込む「心気妄想」
- 自分は酷いことをしてしまった罪深い存在であり、罰されるに違いないと信じ込む「罪業妄想」
- 自分にはお金がないと思う「貧困妄想」
これらはまとめて「微小妄想」と呼ばれ、自身をネガティブに過小評価する妄想です。
セキゼキさんの
「みんなが怒っている。おれは許されない」
という思い込みが罪業妄想であると気づいた時点で、さらに私がもう一つ思い出したことがありました。
(妄想は訂正できない……!)
そう、精神医学の世界では妄想とは「訂正不能な誤った信念である」と定義されているのです。
「あなたはナポレオンの生まれ変わりではないよ、フランス語が話せないでしょう」
と言われて
「言われてみればそうだね。軍事的才能も特にないしね」
と思えるのであれば、どんなに突拍子がなかろうがそれは妄想ではないのです。
どんな証拠を出しても、どれほど完璧に論破され説得されてもなお、その信念を覆すことはできないからこそ、それは「妄想」と呼ばれるのです。
私はセキゼキさんの思い込みがなんとなく説得できそうな気がしてしまったのですが、それは間違っていたのです。
自分の言葉が通じない、何の役にも立たないことを辛く感じていましたが、全部当たり前のことでした。だって彼は病気で、それは妄想だったんですから。
どうして少しは知識があったはずなのに、セキゼキさんが妄想を抱いていることに気づかなかったのか?
それはやはり私の中にも、セキゼキさんが病気であるという現実を認めたくない思いがあったからです。セキゼキさんが妄想を持っているなどと思いたくはなかったのです。
言葉が届かない場所に彼が行ってしまったということを、知りたくなかった。
セキゼキさんとはいろんな話をたくさんしました。
これまでも話した、これからも話すだろう。話していてこんなに楽しくて、言葉がよく通じる人はいないと、私はそう思っていました。いろんなことが分かり合える人だと。
だから話していたかった。話し続けて納得しあえるようになりかった。それがもうできないのかもしれないと思うと、かなしくておそろしくて、辛かったのです。
けどまあ。
だからって現実を認めないということは、何の救いにもならないんですよね。どんなにしんどくても今の状態をきっちり把握しないと、前に進むことは難しいのです。
あーこの人は病気なんだ、妄想が出てしまっているんだ、この悲しくて辛くてしんどい思い込みは、私の言葉によって何とかできるものではないんだ。
考えすぎだよといくら言われたって、そもそもそういう病気だからどうしようもないんだ。
そう認めたとき私はやっと、少し楽になったのです。
私の行動指針は変わりました。
妄想を訂正することができないのならば、そもそも説得を試みることが無駄でした。そんなことをするくらいなら、セキゼキさんの足の小指を掴んでタンスの角にぶつけ続けるほうがマシなくらいです。
妄想にとらわれないよう、目先の刺激でセキゼキさんの考えをそらし続ける。
そう決めてしまえば、無益な説得よりもずっとそちらのほうが楽で、やりがいもありました。
ご飯おいしいね、このゲーム面白いね。
そういうことで頭が占領されているうちは、セキゼキさんの妄想も心の底の方に沈んでいてさほどの悪さはしないのですから。
日常の中のささやかな喜びを見過ごすことなく積み重ねること。
しんどい日々をやり過ごすためには、そんなとても平凡なことがとても重要だったりしたのでした。
半分の優しさがいつでも通用するわけじゃない~『むしろウツなので結婚かと』第1話について
さて、本日2018年12月2日より、コミックDAYSで『むしろウツなので結婚かと』の連載が開始いたしました。
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折角の機会ですので、これからお話が更新される都度、原案者からひとこと的な文章を書かせていただきます。
当時はわからなかったけれど今になればわかること、学んだことなどありますので。
マンガを読む際のこぼれ話としてお楽しみいただけると幸いです。
というわけで本文
ずっと昔、救急箱の整理をしていたら古い鎮痛剤が出てきて、なぜか半分だけ変色して茶色になっていたことがありました。
もう飲んじゃいけないやつだろうなコレと悟ってその場で捨て、
「なぜ半分だけ茶色かったんだろう?」
「もしかしてあれはバファリンだった? じゃあ変色していた半分は優しさ? それとも優しさ以外? ……やっぱり優しさだ。古くなりすぎてもう飲んじゃいけないってことを教えてくれたんだから。ありがとう」
などといい話風にしめようとしましたが、そういう問題じゃないですよね。古い薬はマメに捨てろ自分。命に関わる話だぞ。
とまあ、そんなことが起こってしまうくらいシロイは、普段薬をのみません。子供の頃住んでたエリアが洒落にならないど田舎で
「週に一回しか開かない診療所に皆が群がる」
というすんごい環境だったせいで、もう医者とか薬とかが砂漠の蜃気楼で垣間見るオアシスみたいな感覚なんですよねある意味。そんなわけではちみつ生姜湯だのネギだの、民間療法につい頼ってしまいます。
対照的にセキゼキさん(仮名)は、よく薬をのみます。もともと頭痛持ちなんだそうで、解熱鎮痛剤のたぐいはいつもしっかりと常備しています。
「眼精疲労で頭痛が酷い。痛み止め飲んでおこう」
などと言いながら錠剤を出してくるセキゼキさんを見ると私は最初の頃、
「うわー文明人だなあ」
と思っていました。やっぱり23区育ちは違うなって。眼精疲労が原因とかきくと、
「仕事がんばってるんだなあ」
と感心したりして。
以前の職場にリーダーのカサキさん(仮名)という方がいらしたのですが、この人もよく鎮痛剤を飲む人でした。
「カサキさん、お加減わるいんですか? 早めに帰られては?」
「おれ、もともと頭痛持ちだから、疲れるとどうしてもね。これくらいじゃ帰るわけにはいかない。シロイさんは頭痛とかないんだ? 羨ましいなあ」
などという会話をして、その都度
「カサキさんもお仕事がんばってるからなあ。みんな薬飲んでがんばって偉いなあ。都会育ちなんだなあ」
とか思っていました。健康体で特に辛さもなく仕事をしている自分に、謎の後ろめたさすら感じていました。
そんでまあ、カサキさんは当時私の隣の席だったのでしょっちゅう痛み止めを飲んでいるのがわかりまして、辛そうなのにがんばって偉いなあ、それにしても最近ほんとよく薬飲んでるなあなどと思っていましたらある日、メンタルを病んで仕事に来れなくなってしまったんですよね。
セキゼキのかばんから鎮痛剤の空き箱と空のシートがごっそり出てきた時、私は
「疲れた……」
とため息をつきながら痛み止めを飲んでいたカサキさんの姿をまず思い出しました。
解熱鎮痛剤の箱を見てみますと、一度服用したら数時間は空けてから次の薬を飲むようにという注意書きがあります。
この注意書きをきちんと守っていれば、セキゼキさんが短期間でこれほど大量に解熱鎮痛剤を消費することはありえません。
思い返すとカサキさんもやはり、あるべき間隔をぶっちぎってやたらしょっちゅう薬を飲んでいた気がします。普段自分が薬を飲まないせいで、私はそのことに気づいていませんでした。
何がどうなっているのか全然わからないけれどやっちゃいけないハイペースでがぶがぶ鎮痛剤を飲んで頭痛に耐えているという二人の共通点は、私をひどく不安にさせました。
その頃の私はまだ知らなかったんですが、頭痛ってのはウツの初期の兆候の一つなんだそうです。
薬を飲んでも全然よくならない頭痛に悩まされて内科を受診したらウツだった、などというケースも珍しくないそうで。
メンタルの不調というと気持ちの落ち込みとか不眠とかそういうものをまず想像しますが、身体と心は密接に繋がっていますから。心の不調が身体に出ることもあるわけです。
カサキさんもセキゼキさんもしょっちゅう痛み止めを飲んでいた時点で既に、精神状態は悪化していたんですよね。
思い返すと病気発覚直前の二人の共通点としては、やたらしょっちゅう「疲れた」とか「肩がこった」と口にしていたんですけれども、これもウツの初期の症状だったりします。
ちなみに、ウツの頭痛には市販の解熱鎮痛剤は効きません。だからこそ彼らは全然よくならない頭痛に苦しんで、薬をやたらとしょっちゅう飲んでいたわけです。
そこまで薬が効かない時点で自分の異常に気付こうよという気もしますが、ウツの症状の一つに「病識(自分は病気であるという自覚)がない」というのがあるってのが、いっそう事態を厄介にしてるんですよね。
あの頃の職場で病んでしまった人はカサキさんだけではありませんでした。大体三ヶ月に一人のペースで心を病む人が現れ、空っぽの机がぽこぽこと増えていきました。
いつもね、なんとなくそうなる前に違和感はあるんです。あれこの人なんか前と違うなって、心配になるんです。
でも、知識がないとそういう違和感を行動に結びつけることができないんですよね。心配だなーって思っているだけでは事態は何も変わりませんから。結局、壊れるかな壊れるかなやっぱり壊れたって思うことを繰り返すだけ。
もちろん、
「最近メンタル病んでません? カウンセリングか精神科に行ったほうがいいのでは?」
なーんてことはフツー、職場の同僚には言えませんけど。すげー失礼だと思われるでしょうし。
親しい間柄だったセキゼキさんに対しては何度も強めに精神科受診をすすめたんですけど、ただ怒らせて終わりました。
そういうもんです。言えないし、言っても怒らせるし、だから何も予防することはできず悲劇は予想通り起きてしまうのです。
でもまあ、
「どうせ言っても嫌がられるんだからウツの初期症状についての知識なんてあっても無駄」
ってことにはならないんですよね。
知識があればこそ、相手をうまく気遣えるってことがあるわけですから。当時の私は知識がなかったからこそ、闇雲に精神科受診をすすめることしかできなかったわけです。振り返ればなかなかの悪手でしたね。
今だったらたとえば頭痛をとっかかりにして総合診療科の受診をすすめるとか、そういう手が思いつきます。
総合診療科というのはあえて専門を絞らず、診断のついていない患者さんの症状をみて、どの専門科で治療を受けるべきか診断する科です。
精神科受診を嫌がる人であっても、総合診療科の受診であれば受けてくれる可能性が高いですからね。頭痛外来をすすめるってのもいいと思います。
総合診療科にせよ頭痛外来にせよ、まだやっている病院が少ないのが難点ですけれども。
内科のお医者様がウツに気づいてくれるときもあるわけですから、とりあえず病院に行きましょう、とすすめてみるだけでもよいと思うのです。
薬じゃ効かない頭痛がずっと続いているようだったらとにかく病院に行くのがいいと思うんですよね。精神的な問題じゃなくて脳の器質的な疾患が原因だったりしたら、なおさら危なくて一刻を争うわけですし。
頭痛が続いたらまず病院! を合言葉にやっていこうではありませんか。