wHite_caKe

だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

娘とらっぱ

今月、娘は初めての旅行をしました。私の実家に行ったのです。
二日目の夜、セキゼキさん(仮名)が「カミソリがないからコンビニに買いに行きたい」と言いました。
ど田舎ゆえ、実家から最寄りのコンビニまではかなり遠く、車を出す必要があります。その晩は私以外の全員が酒を飲んだ後でしたので、私が運転手になるしかありません。
私たち夫婦は、母と妹に娘を託してコンビニに行きました。
戻ってくると、娘はわんわんと泣いており、その右手にはおもちゃのらっぱが握りしめられていました。


娘は上機嫌に遊んでいたのですが、私たちが出かけてすぐに、ぐずりはじめたのだそうです。
慌てた母が、その場にあったおもちゃを片っ端から与えると、娘は他のおもちゃには見向きもせず、ひたすららっぱを欲しがりました。
涙をぼろぼろとこぼしながら、娘はらっぱを懸命に鳴らし続けたそうで、
「今までこんなに長く、上手にらっぱを鳴らすのは見たことがなかった」
と母は語りました。


娘がなぜらっぱにこだわったのかには、心当たりがあります。
友人に貰った赤ちゃん用のらっぱには「対象月齢8ヶ月以上」と書かれていました。
ですから、生後半年になったばかりの娘がそのらっぱをプップッと吹き始めた時、家族はみんな大喜びして手を叩き、「ノノミちゃん(仮名)はすごいねえ」と大仰に褒め称えたのです。
それからしばらくの間、娘はらっぱを鳴らしては褒められ、得意満面だったのですが、そのうち飽きてしまったようです。最近ではらっぱを与えても取っ手のあたりをべろべろと舐め回す時間のほうが長くなっていました。


両親がいなくなったことに気づいた娘は、知らないおうちで馴染みのない人たちに囲まれて、さぞ不安になったのでしょう。
その状況で不安解消のために赤子なりに考えた結果が、
「両親が今まで一番喜び、褒めてくれたことをしてみる」
だったのかなあ、と思います。
かわいそうなことをしました。


旅行を終えて帰宅後の娘は、家の中の何を見ても大喜びしています。
にこにこしてはしゃいで、こんなに小さな子でも我が家という感覚があるのだなあ、と驚きました。
らっぱを渡してみました。
娘はべろべろと取手のあたりを舐め回し、私が
「ノノミさん、鳴らしてくださいよ」
と何回も頼むとおざなりな様子で吹き口をくわえ、「ピプッ」と音を立てました。
「すごいすごい」
と褒めるとにやにや笑いましたが、
「もう一回」
と頼んでも無視して、ぽいっとらっぱを投げ出しました。
これが正しい、あるべき姿だよなあ、と思いました。
不安で怖くて、それを解消するために親を喜ばせようとするなんて、そんなことしなくていいからね。
ごめんねノノミさん。

父が子育て身代金を減額した話

すげえ腹立つわ|愛情料理研究家 土岐山協子の 『料理はしないんだけど料理研究家のブログ』
この記事を読んで、思い出した話をします。


小学生の頃、母親がテニスサークルに通い始めて、時々家を空けるようになりました。
私は最初、とても驚いて戸惑いました。お母さんというのはいつも家にいる人だと思っていましたし、お母さんが家族と一緒に晩御飯を食べないなんて想像を超えた事態のように思えました。
寂しさがなかったといえば嘘になります。手早く食事を用意して、
「これとこれはちょっとあっためて食べなさい。こっちはそのままで大丈夫」
などと指示をする母親は明らかにうきうきと楽しそうでした。自分たちを置いて出かけることを母親が楽しみにしているんだと感じた時、やっぱり多少のショックはあったのです。
ですがそれは、ほんの短い間だけのこと。


母が出かける最初の日、父親は張り切った様子で帰宅すると、こう宣言しました。
「今日は『北斗の拳』を見るぞ」
妹と私は、驚きのあまりぽかんと口を開けました。
「PTAで言われたんだけど、『北斗の拳』というアニメは暴力的な描写が多くて、子供に見せないほうがいいんですって。うちはもともと見てないから、別に見なくてもいいでしょ?」
以前に母がそう言ったとき、逆に私は『北斗の拳』とやらを見たくてたまらなくなりました。そんなにも残酷なアニメって、すごくすごく面白そう!
ですが「残酷さ故にそのアニメが見たいです」などというのは子供心にどうも言い出しづらく、私は『北斗の拳』に激しく憧れつつも見たことがなかったのです。
その夜、妹と私はひでぶだのあべしだの叫びながら敵キャラが無残に殺されていくアニメを大喜びで見ました。予想通りとても面白くて、母親の前で鑑賞するのはじゃっかん気がとがめるような内容でした。


その間に、父は炭酸水にガムシロップをまぜレモン汁を絞って、お手製のサイダーを用意してくれました。
私はそれまで、サイダーというのは店や自動販売機で買わないと飲めないものだと思っていました。そんなものが家で作れるなんて考えたこともなく、お父さんはすごい、と大騒ぎしました。
おいしいおいしい、お父さんかっこいい、おかわりちょうだい、と大興奮の私たち姉妹に父は、
「これは内緒のサイダーだから一杯だけだ」
と重々しく告げ、私たちががっかりすると
「その代わり、お母さんが出かけたらまた作ってやる」
と言いました。
そしてまた私たちは、うれしいうれしい、お父さんありがとう、と父にしがみついたのでした。


懐かしの味、というと私はよく父のお手製サイダーのことを思い出します。
その後、娘たちの好評に気をよくした父は大量の炭酸水を買い込んで、いろいろと味付けを工夫していました。
新作のサイダーを飲みながら父と一緒にテレビを見たのは、子供時代の幸福な記憶のひとつです。子供向けの番組にはあまり興味を示さない母と違って、父は子供に近い目線でアニメを一緒に楽しんでくれる人でした。
母がいない間に、みんなで母の日のプレゼントをこっそり用意したこともありました。母に内緒で父がおもちゃ屋さんや本屋さんに連れて行ってくれたこともありました。どれも良い思い出です。


だから私は、母が時折家を空けるようになったことに対して、ちっとも嫌な印象がないのです。母がいなかったからこそいつもと違う親密な時間を父と過ごせて、それはそれでとても楽しく幸せでした。
自分がそうやって楽しく過ごせていたからこそ、テニスサークルに出かけていく母のうきうきした様子を「お母さんも楽しそうでよかった」と素直に思えるようになりました。
父は父で、私たちと過ごす時間を楽しんでくれていたと思います。
あれから二十年以上経ちます。母がテニスをすることはほとんどなくなりましたが、あのサークルで友達になった人たちとは今でも親しく付き合いを続けていますし、そのことを私は「ああお母さんが楽しそうでよいな。あの時サークルに行くようになったのは、本当によいことだったんだな」と思っています。


土岐山さんの話を読むと悲しい気持ちになります。
土岐山さんのおうちでも物事の流れが違っていれば、たとえばお父さんが趣味をやめさせる以外のフォローをしてくれていれば、お母さんの革手芸は幸せな思い出になった可能性があったんじゃないかと思ってしまいます。
自分の才能と適性を発見できることは幸運です。その分野に打ち込むのはすばらしい喜びです。
それを大事な家族のためとはいえ諦めなくてはならなかったのは、やはりお辛いことだったでしょう。わずか数年と他人は思うかもしれませんが、その数年がはてしなく長く感じられることもあるのですから。
気力と体力が充実して周りにも認められる良い流れが、ほんのわずかなズレでうしなわれ取り戻せなくなることもありますしね。


以前に読んだ話。
世の中には誘拐交渉人と呼ばれる、誘拐事件が発生した際に犯人と交渉して事件解決をするプロフェッショナルがいます。
彼らの重要な仕事のひとつは、「身代金の値下げ」なのだとか。
人質の家族は、愛情ゆえに無茶な金額の身代金でもなんとかして払おうとします。
ですが人質が無事に帰り、徐々に気持ちが落ち着き始めたとき彼らは、自分たちの生活が高額の身代金のために破壊されてしまったことを知ります。これまでは考えられなかったような経済的困難が、今後の人生にずっとのしかかってくる。
そうなったとき、ついつい「お前のためにこんなことに」と人質への恨みの気持ちを抱いてしまうことがあってしまう。人間て弱いですからね。そしてまた、そんな気持ちを抱いてしまったことへの罪悪感に苦しんでしまったりもするのです。
帰還した人質にしても、自分のために家族に大きな犠牲を強いてしまったことを知り、申し訳なさでひどく辛い時間を過ごすことになります。
そんなことにならないよう、事件のあとにも続く人生のことを考えて、誘拐交渉人は巨額の身代金を引き下げて少しでも現実的な金額に近づけようとするんだそうです。


親というのはある意味、いつでも子供を人質にとられているようなものです。
「子供のためを思えばそれくらい」
「そんなことじゃ子供が」
「子供がかわいそう」
愛情深い親ほどそんな言葉に怯え、追い立てられてしまいます。
ですが、怯えるままに自分の身を削り続けるというのは、誘拐犯の言いなりになって高額の身代金を払い続けるようなもの。
あまりに大量のものを失えば、ストレスの矛先が子供のほうを向いてしまう人も、きっといるでしょう。それは良いことではありませんが、避けがたい現実です。
どうせ親になった時点で生活は必ず変化し、いくばくかの我慢が必要となるのです。
だったら身代金は可能な範囲で下げたほうがいい。
もちろんそれは、家族を蔑ろにしろとか、そういうことでありません。
ただ、対人関係で相手ばかりを大事にするのは、自分ばかりを大事にするのと同様にバランスを欠いて不健全だと思うのですね。そのバランスを健全に保てば子供だけじゃなく家族全員がけっこう楽に過ごせたりするんじゃないかと、私はそう思っています。

帝王切開直後の皆様

育児が始まったらブログとかあんま更新できねーだろーなーと思ってたらその通りだったわけですが、入院中「でもこれは世間に伝えたい」(オオゲサ)と思った情報がありましたので、それは書いておこうかと思います。

あ、始めに言っておきますとその情報というのは、
帝王切開で出産されて入院中の
・術後三日以内くらいの
・電動ベッドを使用中の方
以外には無縁です。関係ねーやーとお思いの方はお帰りください。


いろいろあって私は帝王切開になってしまったんですけど、おかげでお産自体はさくりと済んでああよかったと胸を撫で下ろしたのも束の間、術後の傷の痛みがすごいって聞いていたのは本当でしたね 。帝王切開で出産した同室の方が「私、術後の痛みが辛すぎて子供は一人でいいと思った」と言ってたんですが、わかるなあと思いました。
自然分娩のほうが個人差ありつつも痛みはすごいイメージがあります。ただ、帝王切開は産後の痛みが長かった。手術後、2日くらいは助産師さんに「赤ちゃん病室にお連れしましょうか?」とか言われても嬉しくありませんでした。そして、嬉しくない自分が母親失格みたいで辛かったのです。
会いたくないわけじゃないんですけど、抱っこや授乳はおろか体を起こして赤ちゃんの顔を見たり撫でたりすることすらできそうになくて、手術当日の私はしばらくするとなぜか声すら出なくなりました。こんな状態で赤ちゃん来られても困るよ、としか思えなかったのです。
それに比べると自然分娩組は出産の翌日には立って歩いてるし、赤ちゃんを微笑みながら抱っこしているのです。早い人は当日のうちに自分から「赤ちゃんに会いたい」とか言ってるんです。すごく感心したし、すごく羨ましく感じました。
手術当日の私は、見舞いにきていた家族が皆帰り、病室で一人になったあと痛みでいっぱいいっぱいの母になれない自分が情けなくて泣きそうでしたが、泣く体力もありませんでした。


いやもうほんと痛いものは痛いので痛くて痛く、痛かったんですよ。体が全然動かせませんでした。ベッドテーブルの上に置いた私物も、少し離れたところにあると痛みのあまり手が伸ばせず、届かないという点においてサハラ砂漠同様に遠かったです。
この痛みから早く脱したいのならどうすればいいか教えてあげましょう、という医療関係者の言葉に、そりゃ私はすがりましたよ。
「起き上がり、ベッドから離れて歩きましょう。動くことが回復を早めます」
なに言ってんだコイツら、と思いそうになりましたよね。
寝返りも打てない、体を起こせない人間に歩けってアンタ。
「手術の翌日にはカテーテルをはずして自力でトイレに行っていただくきまりです」
はあああ? いつ決まったのソレエ。何時何分何秒、地球が何回回ったときい?
言いたいことはたくさんありましたけど、我慢しましたよね。
そんで、よろよろと秒速五センチメートルでトイレに向かいましたよね。点滴台にすがりながら歩いてね。いやあ、頼りになりますよね点滴台マジマブダチですわ。一人じゃ絶対歩けませんわあんなん。
まあね、目の前に見えてる五メートルと離れていないトイレに行って帰ってくるだけのことに膨大な時間を要する、そんな行為を「歩く」と言っていいのか、それすらわかんなくなりましたけどね!


そんでここまで長々と書いてきたのは前ふりでして、もっとコンパクトにまとめたいまとめるべきと思いつつも、やはりあれがどんなに痛かったかは記念に書いておきたかったとゆーことで勘弁してください。
トイレに行くのが比喩でも精神的意味でもなく純粋に肉体的苦痛で、でも行かないわけにはいかないし思っていた私を救ってくれた情報があったのです。
なのでそれをご紹介します。
これから帝王切開を受ける方へ(術後のラクラク離床♫)|ハートライフ病院で ハートフルなお産
どうですかこの電動ベッドの使いこなしテクは!
これを知る前と知った後じゃ、もうトイレ難易度が全然違いましたよありがたかった!
地に額こすりつけて感謝したいくらいの感動がありましたよね。痛かったから無理でしたけど。


いや、もう、別にね。
既にまとまった手順がwebにあって、「帝王切開 痛み 離床」とかで検索すればすぐ見つかる情報ではありますよ。
でもね、私がそうだったんですけど、痛いのなんて知ってるつもり、覚悟してるつもりでいたけどたまらなく辛いな、と思った人間が泥縄式で対策を求めたときに、インターネッツにアクセスできるとも限らないじゃないですか。
だったらこの情報よかった助かったと自分のブログでも書いておけば、読んだ人が今後出産なさるときとか、役立つ可能性があるとゆーか、一人でも助かる人がいればいいなあと思いました。
少なくとも私はこの情報にめぐりあったとき、「これでなんとかなる! トイレも早期離床もどんとこい!」と心強くなりましたし、痛すぎて絶対に娘は一人っ子だと思っていたのが「待て待てまだ決めるには早い」と冷静になれましたので。
それでは皆様のお産がとにかく無事に健やかにできる限り苦痛が少なく済みますように。

人生激変報告

お久しぶりです。シロイです。ほんとはそこまで久しぶりじゃなかったかもしれないんですが、なんか気分的にすごく久しぶりなのですというか、なんだこのごちゃごちゃした前置き。
実は入院してました。出産したもので。そんで退院もしたんですが、ご多分に漏れず育児ってやつに忙殺されてます。
赤子、マジバネエ。こっちの生活、マジ根本から変えてくる。なんせ言葉が通じねえ。


私は自分の過去話をブログに書いてるくせに、セキゼキ(仮名)さんと入籍してもう三年以上経つのにそのことに一切触れてなかったりします。だってなんか気恥ずかしかったし、時間が空いたらますます書きづらくなったよ?
なので出産話も書かずにいくことも考えたんですが、さすがにコドモが生まれたらものの見方とか興味関心とか激変するかもしれないから書かないとか無理だなと思って今、なわけです。
高齢出産なのでなにがどうなるかわからないから無事生まれるまでは書かないことにしていました。書ける日がきたことにはひたすら感謝です。
ちなみに、昨年ババコンガ似の夫がいる妊婦が書いた増田が2本(コレとかアレとか)あったりしたんですが、両方書いたの私です。書かないルールを定めたけど増田ならいっか、と思い書きました。匿名ダイアリー、マジ便利です。


あと、昨年女子校ネタでブログ一本書いてますが、あれは妊娠したから書いたわけではないんです。わかってください。
ここ十年くらい、諸事情あってどうも自分は子供を持てないのだと覚悟していまして、そんで持てないからこそ書いてみようと思って書いたのがあれなのです。
書いた時点ではいつアップするかは考えていなかった(賛否両論わかれそうだからちょっとあげるのにためらいがあった)のですが、妊娠した時点で「やばい、子持ちになってからコレあげるのはなんかすごく真剣に見えてしまう」と慌ててあげました。
生まれたのは娘でしたからますますマジっぽいのですがそれは偶然の話で、実際には「母校はマジでいい学校だったなあ」というノスタルジーがあの文章のメインです。
あああ、なにごちゃごちゃ書いてんでしょうね。要らんことばっかり並べてますね。自分でもまとまらねーなとおもってますが、娘に母乳与えながらスマホで作成中の文章なのでお目こぼしいただけるとありがたいです。
娘が母乳摂取中はKindle読んだり、ネット見たりしてます。手がふさがってるからページを押さえなくてもめくれちゃわないKindleがほんと便利。外出しなくても新しい本読めますしね。授乳のお供にはぜひKindle


いやーそれにしても、赤ん坊って可愛いですね。この可愛さは異常ですね。初めて見たときに「あ、ヤバい」と思いました。なんつーか魔法をかけられたみたいに心が吸い寄せられるこのかんじ。てゆーか魔法なんでしょうねほんとに。
妊娠中、赤ちゃんは夫より可愛いのだろうかとか疑問を抱いていましたが、確実に赤ちゃんのほうが可愛いことがわかりました。魔法だから仕方ありません。この可愛さは超常です。
しかしながら、そのせいで夫への気持ちが薄れるかというとそんなことはなく、至らぬ自分と一緒に頑張ってくれることが本当に嬉しくてありがたくて頼りになって、ああ惚れ直すってこういうことなんだな、と感じたりします。
ごめんなさい。今ちょっとキレイ事言いました。
喧嘩もするし、イライラもあります。生活が激変して、いろいろ思い通りにならなくて、やらなきゃいけないことと責任が増えて、そうすると心穏やかにはいられないときがどうしてもあるんだな、と思うのです。しかもなんかセキゼキさん、このタイミングで仕事めっちゃ忙しくなってるし。そうすると、なんでやってくれないんだよとか、お互いに思ってしまうんですよね。
だけど感謝と嬉しいがたくさんあるのは本当です。生活に負荷がかかることでいろんな物事の新しい面が見えてきて、セキゼキさんには私の知らない美点がまだあったことがわかりました。まだまだこれからたくさんたいへんなことがあって、セキゼキさんと喧嘩もするでしょうし、育児マジつらぃし泣きたぃとか思うときもあるんでしょうが、今このときはかなり幸せです。そのことはこれからも、忘れないようにしたいです。
書いてて自分でもむちゃくちゃ恥ずかしいですが、恥ずかしくて書きづらいことだからこそ書く意味があるのかなと思ったので書いてみました。


娘さん、私たちのところに来てくれて本当にありがとうね。
あなたが来てくれてからの毎日は、大変だけど本当にとても楽しくて面白くて幸せです。

モンハン 物欲センサーの謎について

物欲センサーの謎を解いたよ!」
「えっ? なにそれどういうこと?」
「つまりね、クエスト終了時にもらえる報酬とは何かって話でさ。仕留めたモンスターが村とか団とか、とにかく主人公の所属するコミュティに運ばれて解体されて、それから素材をハンターの分取り分けてくれてるわけでしょ?」
「まあ、たぶんそうだろうね」
「主人公は倒したモンスター一体分全部の素材はもらえないけど、その代わりコミュニティに家とか用意してもらって、生活の面倒を見てもらってるからそれでいいわけだ」
「はあ」
「料理の食材とか見るに、モンスター素材がコミュニティの経済活動を支えているのは明らかなわけで、たぶん『この季節はそろそろ龍肉の鍋が流行るから、レウスをいっぱい狩ってほしいなあ』とかいう思いがあったりするわけ。そこには」
「だんだん話がどこに行くかわかんなくなってきたぞ」
「つまり、主人公が素材欲しさに狩りたいモンスターとコミュニティとして経済的に欲しいモンスターは別って話だよ! フルフルは足りてるからグラビ狩って欲しいとか、そういう思いがほんとはあるんだけど、あくまでハンターの自主性に任せてるから表立っては言わないわけ!」
「ちょっと待て、何の話をしてるんだ」
「だからね! 報酬の取り分けのときにね、やつらはちょっとズルするんだよ! 素材が手に入ったらハンターがもうこの狩りには行かなそうだなってときは、わざと欲しい素材あげないの! 『それはレアだから』とか言うの! 『3%だから』とか! そんで、付き合っているだけで特に素材欲しがってないヤツにはわざとレアをあげるの! 『ほらね、ちゃんと出るでしょ』ってハンターをごまかすために! 『私たちが隠してるわけじゃないんじゃよ』アピールなの! そういうコミュニティの薄汚い陰謀によって、欲しい素材ほど全然出てこなくなるわけ! 具体的には団のやつらが! 団長が! あと料理長とかも! いや違うかもしれない、ギルドのやつらのほうが怪しいかも、すました顔で受付してるこの女どもかもしれない! たぶんこの時期、レウス肉が流行りなんだ! 火竜だけに寒い冬でもあったまる食材とかなんかそういう理由で! 私の天鱗が、天鱗が出ないんだよオオオオォォォォ、早く出せよおおおォォォ! 全身きれいに剥げば! 出てくるだろ天鱗! なんだよ出なかったっておかしいだろ、そこに転がってるレウスの体のどっかにはあるはずだろーが天鱗!」


というわけでG級リオレウスの天鱗が出ません。もうレウスマラソンをはじめて何日経つのかわからなくなってきたほどに出ません。
この「物欲センサーの裏に潜む陰謀説」を私が語ったところ、セキゼキさん(仮名)がすごい目つきでこっちを見ました。
お前は何を言ってるんだって顔をしてました。
ほんと、私も自分が何を言ってるんだかわかりません。

女子校出身者が娘を女子校に入れたがるワケのうちの一つかなあ。

私はもし自分が娘を持ち、彼女がうんと美人かうんとブサイクのどちらかだったら女子校への進学をすすめたいと思っています。そんで、そのどちらでもない親のひいき目からすれば世界一ラブリーだけれども世間的にはまあ並みだよね的な女の子であれば、共学に進学してほしいなと、昔からそのように思っています。
この思いが自分の個人的な経験から形成された偏った考えであることはじゅうじゅう承知していますので、漠然と「思う」だけで、実際にはどうこうするつもりはないんですけど。


私自身は、高校のみ女子校で過ごしました。なので、女子校というものにはメリットがあるな、と思っています。
色恋に関わることなく清らかに過ごせるとかじゃないですよ。女子校だろうとなんだろうと、行動力があって恋愛に興味がある子は、普通に恋人を作りますからね。
私の思う女子校のメリットの第一は、自立心が養われやすいところです。女子生徒しかいないので当たり前ですが、力仕事を含めたすべての作業は、女同士でなんとかするしかありません。その結果私たちは、男性に頼らなくてはならない作業というのは、世の中ほとんどないのだということに気付きました。高いところのものは脚立に登ればとれますし、重い荷物は友人と協力して運べばいいわけで、金槌やのこぎりを扱うのにY染色体は要りません。
大抵のことは自分でなんとかできる、という感覚を持つのはいいものです。自分は女だからあれができない、これもできないと思うより、ずっとずっといいことだと思っています。


そしてもう一つのメリット。女子校の中では容姿によって評価され、振り回されることが少ないのです。
もちろん女子校であっても美しい容姿というのは一つの能力ですから、評価されます。されますがしかし、それはあくまでワンオブゼムとしての評価であり絶対的なものではないというのが、女子校最大の特長だと思うのです。
成績優秀、スポーツが得意、話が面白い、人柄が練れているなどの能力に比べて容姿だけが特別視されたりはしないと言いましょうか。
そんでまあこっからは私の偏見なんですけど、他の能力がいくら優れていても容姿がよろしくない女の子は、共学校では冷たく扱われがちなんじゃないでしょうか。これ、やっぱり偏見だといいなあ。事実じゃない方が当然嬉しいです。


中学時代の私は、小規模校だからほとんど意味がない話ではありますけれど、学年で一番勉強ができました。体は丈夫で、家族仲も良好、気の合う友人もいましたので、自分のことはまあまあハッピーな人間だと思っていました。ゆえに、周りの男の子たちに毎日ブスブス言われても、さほど苦にしていませんでした。
ところがある男子生徒に、
「シロイってなんで笑ってられんの? そこまでブスなんだから何をどう頑張ったって幸せにはなれないのにさ。まさか自分でも結婚できるとか思ってないよね?」
みたいなことを心底不思議そうな顔で言われた時は、ずっしりきましたよね。悪意に満ちたかんじではなく、純粋に疑問を抱いてる様子が彼の表情にはあふれていまして、その無邪気さが余計にきつかったです。
ブスってのは他の美点をすべて打ち消しにするほどの大きな欠点なの? 何がどれだけ出来ても、がんばっても、ブスは絶対に幸せになれないの?
そんな疑問が頭の中をぐるぐると回りました。


小学校の頃は大半の男の子と良くも悪くもないけどまあフツーという関係を築いていて、向こうがこっちを一方的に値踏みしたりダメ出しをしたりということは、あまりなかったように思うのです。
それなのに、中学に入ってから男子生徒たちはやたらと寄り集まってひそひそ話に興じ、女子生徒を見てにやにや笑いながら、あの子はかわいい、シロイはブスでクズでなんで生きてんの、みたいなことを聞こえよがしに口にするようになったわけです。


今になればまあ、当時の中学生男子たちの気持ちもわからないではないというか、若い人間が何かと容姿を重要視しがちなのはある程度あたりまえだよなあ、と思うんですけどね。
色気づくって言葉ありますけど、まさにそういう時期ですからね。相手の肉体に興味を抱かずにいられない大自然のスイッチが、ポンと入った直後だったわけで。そりゃあ相手の肉体にばかり目を向けますよね。オンになったスイッチとしばらく付き合った後でなければ、人間はそれだけじゃないんだなんて考え方ができなくたって仕方ない。
もちろん、だからといってそういう価値観で他人を値踏みして傷つけて楽しむことがいけないのは確かです。だけど未熟だからこそ、若い人間はしばしばその手の残酷さを発揮してしまうんだと思います。男女を問わず、ね。
この手の価値観を生涯だらだらと引きずって、何かと他人を断じて見下さないと生きられない人もいますけれども、それはまた別の話です。


まーとにかく同年代男子の変化に少なからず傷ついた私にとって、女子高はとても安らげる場所でした。女の子たちは私を、ブスであるがゆえに無価値な人間という風には扱いませんでした。自分にはそれなりに取り柄も価値もあるのだという感覚を、私は女子高で取り戻したのです。
というわけで、もしも私の娘が容姿が美しくないという理由で値踏みされ傷ついたならば、私は女子校をすすめたいのです。
そしてまた、私の娘の容姿が奇跡的にとんでもなく素晴らしかった場合。その場合も、女子校に行ってもらえると安心です。すばらしい美貌の主だけど頭も性格も何もかもが悪いみたいな女性は、それでも若いうちはちやほやしてくれる人間に事欠かないんじゃないかと思うんですよね。そうなってしまうと、彼女の人間性はとんでもなくスポイルされてしまうかもしれません。
人間だれしも年をとりますし、そうなってくると顔立ちより顔つきの方がずっと重要になります。だからこそ若さや美しさを至上とする価値観を内面化してしまうと大変です。どれほどの美女であっても加齢には勝てませんから。自分の価値観に、後から苦しめられることになります。
顔だけで自分をちやほやする人間が少ない女子校環境で過ごすことで「時分の花」ではなく「まことの花」の価値を知って育てて欲しいと、そのように思います。


容姿に関係なく娘は女子校に入ってほしい、という考え方もあります。並みの容姿の持ち主であっても、外見至上主義に振り回されることはありますからね。
ただね。
外見だけに振り回されずに済む女子校的価値観の世界は確かに魅力的です。だけど、あの世界に永遠に留まることはできないんですよ。いずれ外界に出て行かなくてはならない。
外界がシビアであればあるほど、早い段階で適応していくことも、とてつもなく重要です。
値踏みされること、それによって軽んじられること、内面を無視されること、どれも嫌な経験ではありますが、そういうことに溢れているのが娑婆世界です。
それに自分が値踏みされ消費されることを嫌う人間であっても、気付けば他人を値踏みし、消費することはあるんですよ。よくないことではありますが、それはどうしたって誰もが心のうちに持つ一側面です。
ならば値踏みされるのはある意味お互いさまであること、だからといってそれを許したり認めたりしていいのか考える必要があること、お互いを消費してしまうとしてもそれだけではない関係も築けること、消費という関係性が人を救う場合もあってしまうことなどを、ひとつひとつ学んでいくことはとても大事ですよね。そういうのはきっと、共学環境下のほうが学びやすいと思うのです。


また、女子校的価値観に染まってしまうと、警戒心を適正なレベルで持つのが、とても難しくなります。警戒心過小か過剰の、どちらかになりやすい。
「自分がいるときはアパートの鍵、かけたことないです。だって家にいるんだから空き巣もこないでしょうし」
こんなことを言った女の子は当時18歳で、女子校出身者でした。私は
「いやいや危ないよ、あなたの入浴中に知らない男の人が入ってきたりしたらどうするの? のぞかれるだけで済んだら御の字だよ?」
と言ってみたのですが、彼女はびっくりした顔で、
「どうしてシロイさんはそんな怖いことが思いつくんですか? 考えすぎじゃありません? 男の人は人間じゃないとでも思っているんですか?」
とか言われてものすごく「汚れちまつた悲しみに」気分になりました。


もちろん、女子校出身者の全員がここまで世間知らずなわけじゃありませんし、家庭での教育などで補えるとは思いますけれども、生の男性を知らないがゆえの過剰なピュアさみたいなものを実際に目の当たりにするとぞっとしますね。
ここまで極端な例じゃなくても、「男性のシタゴコロを想定する」こと自体を思いあがりであり、相手にとって失礼な行為であると思って警戒心過小になっていくのは、女子校出身者にはしばしばあることだと思っています。
その逆に、警戒心が過剰に暴走してしまうのもありがち。これ、短期的にみれば安心なんですけど、長期的に見ると警戒心過小な子よりもまずいときがあります。
過小な子は男性と知り合い、親しくなるチャンスを得やすいからです。生身の男性と実際に接する中で、自分の中の男性観を現実とすり合わせて行くことができます。実際、世の男性はなんだかんだいって紳士的な方のほうが多いと私は思っていますし、仲良くなったら即危険というケースはあまり多くないのではないでしょうか。(これもずれてる?)
過剰な子は、男性と親しくなりづらいため、現実に即した男性像というものを構築することが難しくなります。歪んだ他者イメージを抱くことは危険です。また、過剰な警戒心を抱いて生きることは、心を疲弊させます。疲れきったところにつけこむ人間というのはいますし、そうなってしまうと今までの過剰警戒はなんだったの、今思い切り騙されてんじゃんアンタ、みたいな話になるのもありがちです。


また、ちょっと意外かもしれませんが、女子校出身であるがゆえに同性にしてやられる場合もあります。
「男性の前だと態度がころっと変わる、裏表の激しい女性」というのが、当たり前ですが女子校にはいません。いたとしても、観測できません。
そうなるとまあ、そういうタイプの女性にいろんなかたちで翻弄されたりするんですよ。


そう考えると、女子校的価値観しか持たない、共学環境を知らずに育つというのは、いろいろな意味で危険なのです。
美醜のどちらであっても極端な容姿の主であれば女子校をすすめたいと私が思うのは、女子校的価値観しか知らない危険よりも、自己愛が適正でなくなり、セルフイメージが歪んでしまうのを恐れるからです。
ですが、人並みの容姿であれば、そこまで自己愛やセルフイメージが狂う危険性は高くない気がするので、現実社会全般に対してそれなりの警戒心を養っていってほしいと、そう思っているんですよね。


私は共学の高校に通ったことないから実態をよくわかっていないし、私の思う女子校的価値観というのは、あくまで母校の校風の話であって、他の女子校とは違う可能性もあるんですけどね。とにかく娘を女子校に行かせたいかどうか問題については、大体こんな風に考えているわけです。
あと、漠然となんですが、息子の場合はどのような容姿に生まれついたとしても、できれば共学に行かせたい、男子校には行かせたくないとなんとなく思っています。根拠を訊かれても自分でもわからないんですが。
男子校出身者の方で、男子校に行ってよかった、男子校オススメとか、そういう意見がありましたら、聞いてみたいなあとも思います。

夏休みの宿題と父親

この間の週末、ネットをふらふらしてると夏休みの宿題についての記事が目に入って、もうそんな時期かあと思ったわけなんですけれども、そういえば私は親に宿題の手伝いを頼んだりはあまりしませんでした。
むしろ逆に、隙あらば娘の宿題を奪っていこうとする父親に目を光らせていたという思い出があります。


私の父ネコヒコ(仮名)は美大出身だったせいもあるのか、とにかく器用で手先を使った作業が大好きでした。小さな電気炉で七宝を焼いたり、油絵も描いていましたし、休みの日には習字や篆刻(俳句や日本画のサインがわりに押されるハンコを彫ること)、刻字(木材などに文字を彫ること)などに一日中打ち込んだりしていました。
そんな彼にとって、娘の宿題はなにかとてもイイモノに見えたらしいです。
「いいなーいいなー、ちょっとおれもやってみたい。水面の部分、そこだけおれに塗らせて。山とか森はケイキがやっていいから」
などと謎の譲歩を見せつつなんとか関わろうとする父親。
私はといえば残念ながら器用な父にはちっとも似ず、むしろ学校でも気の毒がられるほどダントツに不器用でしたから、最初は喜んで手伝ってもらったのでした。


休み明け、私は学校でクラスメートに「ずるーい」と糾弾されました。
当たり前です。
ネコヒコは子供の宿題だからそれなりに下手っぽく仕上げるということを、あまり考えませんでした。というか単純に「自分もやりたい」という情熱をそのまま画用紙にぶつけてくれやがりましたので、結果として私の稚拙な絵は一部分だけ異様に達者な仕上がりとなり、学芸会のお芝居に紛れ込んで熱演する新劇の役者みたいな不調和ぶりが誰の目から見ても明らかだったのでした。
私はクラスメートの批判と自分の父親には子供の宿題を上手く手伝う機能がないという現実を厳粛に受け止め、次からはもう絶対父には頼まないということを心に誓いました。


しかしながらそれ以降、
「冬休みなら書き初めの宿題あるだろ? なに書くの? おれも書いていい?」
「夏休みの自由研究の代わりに工作とかどうかな? 木製のコースターを作ってみたんだけどさ」
父はやたらと娘の宿題に関わろうとするようになりました。
「もうお父さんには手伝ってもらえないよ。ズルって言われるもん」
私に拒絶された父は、妹にも同様の声かけを行ったのですが、
「絶対イヤ! お父さんは宿題に一切手出ししないで!」
姉の失敗を目の当たりにしている妹は、私よりよほど強硬な態度で父の介入を拒むのでした。


しょんぼりとうなだれる父の姿を見ているうちに私は、なんだか気の毒になってしまいました。
「わかった。じゃあ書き初めは自由課題で好きな字を書いていいって言われてるから、お父さんがお手本書いてよ」
目を輝かせる父。いきいきと書き初めする父。書き終わった半紙を並べながら「どれがいいと思う?」と訊く父。選出が終わったら「じゃあこれを学校に持ってけ」と胸を張る父。
「だからあ!」
怒る私。
「お父さんのは! もってけないって言ったでしょ! ズルでしょ! 私の宿題でしょこれは、お父さんのじゃないでしょ!」
「そうだけど……せっかく書いたし……先生の意見もききたいし……」
なんで先生の意見ききたいんだよ、あんた教え子じゃないだろうと言いたい気持ちをぐっとこらえ、私は言いました。
「じゃあ、私のじゃなくてお父さんが書いたってことで持ってくよ。それでもいい?」
「それでいい。いやー楽しみだなあ」
なにがどう楽しみなんだよ、と思いながらも私は事態がおさまったことに安堵しました。
というわけで私はそれ以降も父お手製の木製コースターだの工作だの書き初めだのを、「父のです。なんか持ってけっていうんです」と言って休み明けに持参するようになったのでした。
田舎の少人数の学校だったからでしょうか、先生たちも「へーそうかあ」というかんじで生あたたかく受け入れてくれました。内心では「変な父親だなあ」くらいには思っていたでしょうが、私もそう思っていましたから問題ではありません。


さて、私が中学生の時のこと。
私は生来の不器用さがたたり、美術の課題の進行が大幅に遅れていました。
課題というのは鏡の枠作りでした。木製の枠に下絵を描き彫刻刀で彫ってやすりをかけ、塗装したら鏡をはめて出来上がり、というものです。
この下絵描きと彫る段階で私はむちゃくちゃに手間取っており、他の生徒たちが七割がた彫り終わっているというのに三割くらいしかできていなかったのでした。
いい機会だから持ち帰って夏休み中できるだけ作業を進めて九割くらい彫り終わった状態で新学期に臨もうと、私はそう考えました。


夕食の片づけが終わると新聞を敷き、茶の間で彫りものを始める娘を見た父は、一気に色めき立ちました。
「なにそれ宿題? 手伝ってほしい?」
「おれ彫るの好きだなあ。おれのほうがいい彫刻刀持ってるしなあ」
「一つアイディアがあってな。との粉を塗る時、墨を混ぜて黒っぽくするんだよ。そのほうが重厚で渋くて、いい仕上がりになるぞう! これはもう決まりだな、との粉も墨もニスもあるし、ここはひとつ父に任せて……」
「だからあ!」
怒る私。
「ダメに決まってるでしょ、何オリジナリティ出そうとしてんのこれ学校の課題だよ!? 言われたとおりやればいいの、それができるかどうかが見られてんの! つうかこのど下手な下絵しかできない人間がいきなりそんなアーティスティックな工夫施したら、不自然すぎて即座にズルってバレるでしょうがあああああ!」
「で、でもそのほうが良い作品がさ……」
「作品の良さなんてどうでもいいんだよおおォォォォオ! ただ無難にこなしたいだけなんだよ私はさあアアァァァァ!」
「そっか……」
肩を落とす父ネコヒコ。
それからも父は私が彫りものをしているとその横に陣取り、羨ましそうにしながら
「ちょっとだけ、ちょっとだけだから彫らして。な? 今度の日曜一日だけでいいから!」
などと言い続けましたが、私は彼の願いを却下しました。
「言っとくけど、勝手に触んないでねコレ。絶対いじらないでね!」
私はそう念を押したのですが、「うん」と頷く父の顔には「隙あらば!」という気持ちがあふれていましたので、とても不安でした。
とはいえサラリマンとして毎日出勤しなければいけない父が、夏休み満喫中の中学生の目をかいくぐるチャンスはまずありません。この分ならなんとかなりそうだ、と油断していたある日のことです。
「そうだった私、今年は地域の弁論大会に出なきゃいけないんだった……」
よりによって大会は日曜開催でした。
「お父さん、今日私出かけて夕方まで帰れないけど、その隙に美術の課題を進めたりしたら、絶対ダメだよ?」
「うん、お前の言いたいことはわかってるぞ」
「絶対だよ! 私が困るんだからね!」
「娘を困らせたくはないなあ」
「信じたよ? 信じたからね! じゃあ、いってきます」
私もまだ若かったというか未熟だったというか、父親を疑っちゃわるいなという気持ちがどこかに残っていたんですよね。


「ただいまー」
「おう! おかえり!」
やたらと瞳を輝かせた父に出迎えられた瞬間、胸中で嫌な予感がふくらみました。
「なんじゃいこりゃあ!」
足元から崩れ落ちる私を見ながら、嬉しそうに父が話します。
「な、やっぱりとの粉を黒っぽくしたほうがいい仕上がりだろ? あとはこのまま数時間、明日の朝には乾いてるからさあ……」
「やるなって言ったじゃん! やっちゃダメって言ったじゃん! あんなに念押したのにお父さんのバカああ!」
「悪かった。でもどうしても我慢できなくてさ……」
「うるさいうるさい、どうすんのコレえ、二学期からどうすんの私ぃ」
「先生に相談したらどうだ。全部おれのせいにしていいよ」
「いいよじゃなくて、ほんとに100パーセントお父さんのせいですけど!?」
「うん、そうだ、その通りだな。だからその通り先生に話しなさい。正直は美徳だからな」


結論から言いますと、なんとかなりました。
過去に私が書き初めだのなんだのを「父が」と言って学校に持ってきた実績があったため、
「ほんとにやりたがりのお父さんなんだな」
と美術教師もあっさり納得してくれたのです。
クラスメートにはやっぱりちょっと「ずるーい」と言われましたけど、
「ずるい? なにが? みんなほんとに私と同じ目に遭いたい? こんなのバレるに決まってるし、下手したら先生に怒られて最初からやり直しもありえるなって覚悟したのに?」
と切り返しましたら、みな理解してくれました。
問題があるとしたら二学期、みんなが黙々と彫りものを進めている間、何もやることがなくて私が異常に手持無沙汰になってしまったことくらいですけど、まあそんなのはね。適当に暇つぶしすりゃーいいだけで。
というか、最初の気まずさを乗り越えてしまえばこれはこれで悪くなかったな、と思うようになりましたよね私も。ニガテな課題が気がつけば完成しちゃうなんて、魔法みたいというかドラえもんみたいというか、すべての子供が抱く叶わぬ願いじゃないですかそんなん。
それが結果的にかなり不本意な形とはいえ一応かなったと言えなくもないわけですから。


ただ一つ問題があるとしたら、
「フツー親って子供の不正を厳しく摘発する側じゃないの? 率先して不正をしたがる親って一体……」
という疑問を私が抱いてしまったことなわけですけど、
「どうせばれるんだからズルのうちにも入らないってことか? 私のトク全然ないもんな」
と考えることでこれも自己解決しました。
とりあえず
「親だって人間」
「人間だから完璧じゃないし聖人君子とも限らない」
「だからといって悪い親なわけでもない」
「人生は面白ければおおむねオッケー。物事はなんでも考えよう」
ということを夏休みの宿題とそれに伴う不正によって、私は学んだように思います。
お父さん、いろいろ文句言いたいところはあるけれど、それでも一応ありがとう。