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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

帝王切開直後の皆様

育児が始まったらブログとかあんま更新できねーだろーなーと思ってたらその通りだったわけですが、入院中「でもこれは世間に伝えたい」(オオゲサ)と思った情報がありましたので、それは書いておこうかと思います。

あ、始めに言っておきますとその情報というのは、
帝王切開で出産されて入院中の
・術後三日以内くらいの
・電動ベッドを使用中の方
以外には無縁です。関係ねーやーとお思いの方はお帰りください。


いろいろあって私は帝王切開になってしまったんですけど、おかげでお産自体はさくりと済んでああよかったと胸を撫で下ろしたのも束の間、術後の傷の痛みがすごいって聞いていたのは本当でしたね 。帝王切開で出産した同室の方が「私、術後の痛みが辛すぎて子供は一人でいいと思った」と言ってたんですが、わかるなあと思いました。
自然分娩のほうが個人差ありつつも痛みはすごいイメージがあります。ただ、帝王切開は産後の痛みが長かった。手術後、2日くらいは助産師さんに「赤ちゃん病室にお連れしましょうか?」とか言われても嬉しくありませんでした。そして、嬉しくない自分が母親失格みたいで辛かったのです。
会いたくないわけじゃないんですけど、抱っこや授乳はおろか体を起こして赤ちゃんの顔を見たり撫でたりすることすらできそうになくて、手術当日の私はしばらくするとなぜか声すら出なくなりました。こんな状態で赤ちゃん来られても困るよ、としか思えなかったのです。
それに比べると自然分娩組は出産の翌日には立って歩いてるし、赤ちゃんを微笑みながら抱っこしているのです。早い人は当日のうちに自分から「赤ちゃんに会いたい」とか言ってるんです。すごく感心したし、すごく羨ましく感じました。
手術当日の私は、見舞いにきていた家族が皆帰り、病室で一人になったあと痛みでいっぱいいっぱいの母になれない自分が情けなくて泣きそうでしたが、泣く体力もありませんでした。


いやもうほんと痛いものは痛いので痛くて痛く、痛かったんですよ。体が全然動かせませんでした。ベッドテーブルの上に置いた私物も、少し離れたところにあると痛みのあまり手が伸ばせず、届かないという点においてサハラ砂漠同様に遠かったです。
この痛みから早く脱したいのならどうすればいいか教えてあげましょう、という医療関係者の言葉に、そりゃ私はすがりましたよ。
「起き上がり、ベッドから離れて歩きましょう。動くことが回復を早めます」
なに言ってんだコイツら、と思いそうになりましたよね。
寝返りも打てない、体を起こせない人間に歩けってアンタ。
「手術の翌日にはカテーテルをはずして自力でトイレに行っていただくきまりです」
はあああ? いつ決まったのソレエ。何時何分何秒、地球が何回回ったときい?
言いたいことはたくさんありましたけど、我慢しましたよね。
そんで、よろよろと秒速五センチメートルでトイレに向かいましたよね。点滴台にすがりながら歩いてね。いやあ、頼りになりますよね点滴台マジマブダチですわ。一人じゃ絶対歩けませんわあんなん。
まあね、目の前に見えてる五メートルと離れていないトイレに行って帰ってくるだけのことに膨大な時間を要する、そんな行為を「歩く」と言っていいのか、それすらわかんなくなりましたけどね!


そんでここまで長々と書いてきたのは前ふりでして、もっとコンパクトにまとめたいまとめるべきと思いつつも、やはりあれがどんなに痛かったかは記念に書いておきたかったとゆーことで勘弁してください。
トイレに行くのが比喩でも精神的意味でもなく純粋に肉体的苦痛で、でも行かないわけにはいかないし思っていた私を救ってくれた情報があったのです。
なのでそれをご紹介します。
これから帝王切開を受ける方へ(術後のラクラク離床♫)|ハートライフ病院で ハートフルなお産
どうですかこの電動ベッドの使いこなしテクは!
これを知る前と知った後じゃ、もうトイレ難易度が全然違いましたよありがたかった!
地に額こすりつけて感謝したいくらいの感動がありましたよね。痛かったから無理でしたけど。


いや、もう、別にね。
既にまとまった手順がwebにあって、「帝王切開 痛み 離床」とかで検索すればすぐ見つかる情報ではありますよ。
でもね、私がそうだったんですけど、痛いのなんて知ってるつもり、覚悟してるつもりでいたけどたまらなく辛いな、と思った人間が泥縄式で対策を求めたときに、インターネッツにアクセスできるとも限らないじゃないですか。
だったらこの情報よかった助かったと自分のブログでも書いておけば、読んだ人が今後出産なさるときとか、役立つ可能性があるとゆーか、一人でも助かる人がいればいいなあと思いました。
少なくとも私はこの情報にめぐりあったとき、「これでなんとかなる! トイレも早期離床もどんとこい!」と心強くなりましたし、痛すぎて絶対に娘は一人っ子だと思っていたのが「待て待てまだ決めるには早い」と冷静になれましたので。
それでは皆様のお産がとにかく無事に健やかにできる限り苦痛が少なく済みますように。

人生激変報告

お久しぶりです。シロイです。ほんとはそこまで久しぶりじゃなかったかもしれないんですが、なんか気分的にすごく久しぶりなのですというか、なんだこのごちゃごちゃした前置き。
実は入院してました。出産したもので。そんで退院もしたんですが、ご多分に漏れず育児ってやつに忙殺されてます。
赤子、マジバネエ。こっちの生活、マジ根本から変えてくる。なんせ言葉が通じねえ。


私は自分の過去話をブログに書いてるくせに、セキゼキ(仮名)さんと入籍してもう三年以上経つのにそのことに一切触れてなかったりします。だってなんか気恥ずかしかったし、時間が空いたらますます書きづらくなったよ?
なので出産話も書かずにいくことも考えたんですが、さすがにコドモが生まれたらものの見方とか興味関心とか激変するかもしれないから書かないとか無理だなと思って今、なわけです。
高齢出産なのでなにがどうなるかわからないから無事生まれるまでは書かないことにしていました。書ける日がきたことにはひたすら感謝です。
ちなみに、昨年ババコンガ似の夫がいる妊婦が書いた増田が2本(コレとかアレとか)あったりしたんですが、両方書いたの私です。書かないルールを定めたけど増田ならいっか、と思い書きました。匿名ダイアリー、マジ便利です。


あと、昨年女子校ネタでブログ一本書いてますが、あれは妊娠したから書いたわけではないんです。わかってください。
ここ十年くらい、諸事情あってどうも自分は子供を持てないのだと覚悟していまして、そんで持てないからこそ書いてみようと思って書いたのがあれなのです。
書いた時点ではいつアップするかは考えていなかった(賛否両論わかれそうだからちょっとあげるのにためらいがあった)のですが、妊娠した時点で「やばい、子持ちになってからコレあげるのはなんかすごく真剣に見えてしまう」と慌ててあげました。
生まれたのは娘でしたからますますマジっぽいのですがそれは偶然の話で、実際には「母校はマジでいい学校だったなあ」というノスタルジーがあの文章のメインです。
あああ、なにごちゃごちゃ書いてんでしょうね。要らんことばっかり並べてますね。自分でもまとまらねーなとおもってますが、娘に母乳与えながらスマホで作成中の文章なのでお目こぼしいただけるとありがたいです。
娘が母乳摂取中はKindle読んだり、ネット見たりしてます。手がふさがってるからページを押さえなくてもめくれちゃわないKindleがほんと便利。外出しなくても新しい本読めますしね。授乳のお供にはぜひKindle


いやーそれにしても、赤ん坊って可愛いですね。この可愛さは異常ですね。初めて見たときに「あ、ヤバい」と思いました。なんつーか魔法をかけられたみたいに心が吸い寄せられるこのかんじ。てゆーか魔法なんでしょうねほんとに。
妊娠中、赤ちゃんは夫より可愛いのだろうかとか疑問を抱いていましたが、確実に赤ちゃんのほうが可愛いことがわかりました。魔法だから仕方ありません。この可愛さは超常です。
しかしながら、そのせいで夫への気持ちが薄れるかというとそんなことはなく、至らぬ自分と一緒に頑張ってくれることが本当に嬉しくてありがたくて頼りになって、ああ惚れ直すってこういうことなんだな、と感じたりします。
ごめんなさい。今ちょっとキレイ事言いました。
喧嘩もするし、イライラもあります。生活が激変して、いろいろ思い通りにならなくて、やらなきゃいけないことと責任が増えて、そうすると心穏やかにはいられないときがどうしてもあるんだな、と思うのです。しかもなんかセキゼキさん、このタイミングで仕事めっちゃ忙しくなってるし。そうすると、なんでやってくれないんだよとか、お互いに思ってしまうんですよね。
だけど感謝と嬉しいがたくさんあるのは本当です。生活に負荷がかかることでいろんな物事の新しい面が見えてきて、セキゼキさんには私の知らない美点がまだあったことがわかりました。まだまだこれからたくさんたいへんなことがあって、セキゼキさんと喧嘩もするでしょうし、育児マジつらぃし泣きたぃとか思うときもあるんでしょうが、今このときはかなり幸せです。そのことはこれからも、忘れないようにしたいです。
書いてて自分でもむちゃくちゃ恥ずかしいですが、恥ずかしくて書きづらいことだからこそ書く意味があるのかなと思ったので書いてみました。


娘さん、私たちのところに来てくれて本当にありがとうね。
あなたが来てくれてからの毎日は、大変だけど本当にとても楽しくて面白くて幸せです。

モンハン 物欲センサーの謎について

物欲センサーの謎を解いたよ!」
「えっ? なにそれどういうこと?」
「つまりね、クエスト終了時にもらえる報酬とは何かって話でさ。仕留めたモンスターが村とか団とか、とにかく主人公の所属するコミュティに運ばれて解体されて、それから素材をハンターの分取り分けてくれてるわけでしょ?」
「まあ、たぶんそうだろうね」
「主人公は倒したモンスター一体分全部の素材はもらえないけど、その代わりコミュニティに家とか用意してもらって、生活の面倒を見てもらってるからそれでいいわけだ」
「はあ」
「料理の食材とか見るに、モンスター素材がコミュニティの経済活動を支えているのは明らかなわけで、たぶん『この季節はそろそろ龍肉の鍋が流行るから、レウスをいっぱい狩ってほしいなあ』とかいう思いがあったりするわけ。そこには」
「だんだん話がどこに行くかわかんなくなってきたぞ」
「つまり、主人公が素材欲しさに狩りたいモンスターとコミュニティとして経済的に欲しいモンスターは別って話だよ! フルフルは足りてるからグラビ狩って欲しいとか、そういう思いがほんとはあるんだけど、あくまでハンターの自主性に任せてるから表立っては言わないわけ!」
「ちょっと待て、何の話をしてるんだ」
「だからね! 報酬の取り分けのときにね、やつらはちょっとズルするんだよ! 素材が手に入ったらハンターがもうこの狩りには行かなそうだなってときは、わざと欲しい素材あげないの! 『それはレアだから』とか言うの! 『3%だから』とか! そんで、付き合っているだけで特に素材欲しがってないヤツにはわざとレアをあげるの! 『ほらね、ちゃんと出るでしょ』ってハンターをごまかすために! 『私たちが隠してるわけじゃないんじゃよ』アピールなの! そういうコミュニティの薄汚い陰謀によって、欲しい素材ほど全然出てこなくなるわけ! 具体的には団のやつらが! 団長が! あと料理長とかも! いや違うかもしれない、ギルドのやつらのほうが怪しいかも、すました顔で受付してるこの女どもかもしれない! たぶんこの時期、レウス肉が流行りなんだ! 火竜だけに寒い冬でもあったまる食材とかなんかそういう理由で! 私の天鱗が、天鱗が出ないんだよオオオオォォォォ、早く出せよおおおォォォ! 全身きれいに剥げば! 出てくるだろ天鱗! なんだよ出なかったっておかしいだろ、そこに転がってるレウスの体のどっかにはあるはずだろーが天鱗!」


というわけでG級リオレウスの天鱗が出ません。もうレウスマラソンをはじめて何日経つのかわからなくなってきたほどに出ません。
この「物欲センサーの裏に潜む陰謀説」を私が語ったところ、セキゼキさん(仮名)がすごい目つきでこっちを見ました。
お前は何を言ってるんだって顔をしてました。
ほんと、私も自分が何を言ってるんだかわかりません。

女子校出身者が娘を女子校に入れたがるワケのうちの一つかなあ。

私はもし自分が娘を持ち、彼女がうんと美人かうんとブサイクのどちらかだったら女子校への進学をすすめたいと思っています。そんで、そのどちらでもない親のひいき目からすれば世界一ラブリーだけれども世間的にはまあ並みだよね的な女の子であれば、共学に進学してほしいなと、昔からそのように思っています。
この思いが自分の個人的な経験から形成された偏った考えであることはじゅうじゅう承知していますので、漠然と「思う」だけで、実際にはどうこうするつもりはないんですけど。


私自身は、高校のみ女子校で過ごしました。なので、女子校というものにはメリットがあるな、と思っています。
色恋に関わることなく清らかに過ごせるとかじゃないですよ。女子校だろうとなんだろうと、行動力があって恋愛に興味がある子は、普通に恋人を作りますからね。
私の思う女子校のメリットの第一は、自立心が養われやすいところです。女子生徒しかいないので当たり前ですが、力仕事を含めたすべての作業は、女同士でなんとかするしかありません。その結果私たちは、男性に頼らなくてはならない作業というのは、世の中ほとんどないのだということに気付きました。高いところのものは脚立に登ればとれますし、重い荷物は友人と協力して運べばいいわけで、金槌やのこぎりを扱うのにY染色体は要りません。
大抵のことは自分でなんとかできる、という感覚を持つのはいいものです。自分は女だからあれができない、これもできないと思うより、ずっとずっといいことだと思っています。


そしてもう一つのメリット。女子校の中では容姿によって評価され、振り回されることが少ないのです。
もちろん女子校であっても美しい容姿というのは一つの能力ですから、評価されます。されますがしかし、それはあくまでワンオブゼムとしての評価であり絶対的なものではないというのが、女子校最大の特長だと思うのです。
成績優秀、スポーツが得意、話が面白い、人柄が練れているなどの能力に比べて容姿だけが特別視されたりはしないと言いましょうか。
そんでまあこっからは私の偏見なんですけど、他の能力がいくら優れていても容姿がよろしくない女の子は、共学校では冷たく扱われがちなんじゃないでしょうか。これ、やっぱり偏見だといいなあ。事実じゃない方が当然嬉しいです。


中学時代の私は、小規模校だからほとんど意味がない話ではありますけれど、学年で一番勉強ができました。体は丈夫で、家族仲も良好、気の合う友人もいましたので、自分のことはまあまあハッピーな人間だと思っていました。ゆえに、周りの男の子たちに毎日ブスブス言われても、さほど苦にしていませんでした。
ところがある男子生徒に、
「シロイってなんで笑ってられんの? そこまでブスなんだから何をどう頑張ったって幸せにはなれないのにさ。まさか自分でも結婚できるとか思ってないよね?」
みたいなことを心底不思議そうな顔で言われた時は、ずっしりきましたよね。悪意に満ちたかんじではなく、純粋に疑問を抱いてる様子が彼の表情にはあふれていまして、その無邪気さが余計にきつかったです。
ブスってのは他の美点をすべて打ち消しにするほどの大きな欠点なの? 何がどれだけ出来ても、がんばっても、ブスは絶対に幸せになれないの?
そんな疑問が頭の中をぐるぐると回りました。


小学校の頃は大半の男の子と良くも悪くもないけどまあフツーという関係を築いていて、向こうがこっちを一方的に値踏みしたりダメ出しをしたりということは、あまりなかったように思うのです。
それなのに、中学に入ってから男子生徒たちはやたらと寄り集まってひそひそ話に興じ、女子生徒を見てにやにや笑いながら、あの子はかわいい、シロイはブスでクズでなんで生きてんの、みたいなことを聞こえよがしに口にするようになったわけです。


今になればまあ、当時の中学生男子たちの気持ちもわからないではないというか、若い人間が何かと容姿を重要視しがちなのはある程度あたりまえだよなあ、と思うんですけどね。
色気づくって言葉ありますけど、まさにそういう時期ですからね。相手の肉体に興味を抱かずにいられない大自然のスイッチが、ポンと入った直後だったわけで。そりゃあ相手の肉体にばかり目を向けますよね。オンになったスイッチとしばらく付き合った後でなければ、人間はそれだけじゃないんだなんて考え方ができなくたって仕方ない。
もちろん、だからといってそういう価値観で他人を値踏みして傷つけて楽しむことがいけないのは確かです。だけど未熟だからこそ、若い人間はしばしばその手の残酷さを発揮してしまうんだと思います。男女を問わず、ね。
この手の価値観を生涯だらだらと引きずって、何かと他人を断じて見下さないと生きられない人もいますけれども、それはまた別の話です。


まーとにかく同年代男子の変化に少なからず傷ついた私にとって、女子高はとても安らげる場所でした。女の子たちは私を、ブスであるがゆえに無価値な人間という風には扱いませんでした。自分にはそれなりに取り柄も価値もあるのだという感覚を、私は女子高で取り戻したのです。
というわけで、もしも私の娘が容姿が美しくないという理由で値踏みされ傷ついたならば、私は女子校をすすめたいのです。
そしてまた、私の娘の容姿が奇跡的にとんでもなく素晴らしかった場合。その場合も、女子校に行ってもらえると安心です。すばらしい美貌の主だけど頭も性格も何もかもが悪いみたいな女性は、それでも若いうちはちやほやしてくれる人間に事欠かないんじゃないかと思うんですよね。そうなってしまうと、彼女の人間性はとんでもなくスポイルされてしまうかもしれません。
人間だれしも年をとりますし、そうなってくると顔立ちより顔つきの方がずっと重要になります。だからこそ若さや美しさを至上とする価値観を内面化してしまうと大変です。どれほどの美女であっても加齢には勝てませんから。自分の価値観に、後から苦しめられることになります。
顔だけで自分をちやほやする人間が少ない女子校環境で過ごすことで「時分の花」ではなく「まことの花」の価値を知って育てて欲しいと、そのように思います。


容姿に関係なく娘は女子校に入ってほしい、という考え方もあります。並みの容姿の持ち主であっても、外見至上主義に振り回されることはありますからね。
ただね。
外見だけに振り回されずに済む女子校的価値観の世界は確かに魅力的です。だけど、あの世界に永遠に留まることはできないんですよ。いずれ外界に出て行かなくてはならない。
外界がシビアであればあるほど、早い段階で適応していくことも、とてつもなく重要です。
値踏みされること、それによって軽んじられること、内面を無視されること、どれも嫌な経験ではありますが、そういうことに溢れているのが娑婆世界です。
それに自分が値踏みされ消費されることを嫌う人間であっても、気付けば他人を値踏みし、消費することはあるんですよ。よくないことではありますが、それはどうしたって誰もが心のうちに持つ一側面です。
ならば値踏みされるのはある意味お互いさまであること、だからといってそれを許したり認めたりしていいのか考える必要があること、お互いを消費してしまうとしてもそれだけではない関係も築けること、消費という関係性が人を救う場合もあってしまうことなどを、ひとつひとつ学んでいくことはとても大事ですよね。そういうのはきっと、共学環境下のほうが学びやすいと思うのです。


また、女子校的価値観に染まってしまうと、警戒心を適正なレベルで持つのが、とても難しくなります。警戒心過小か過剰の、どちらかになりやすい。
「自分がいるときはアパートの鍵、かけたことないです。だって家にいるんだから空き巣もこないでしょうし」
こんなことを言った女の子は当時18歳で、女子校出身者でした。私は
「いやいや危ないよ、あなたの入浴中に知らない男の人が入ってきたりしたらどうするの? のぞかれるだけで済んだら御の字だよ?」
と言ってみたのですが、彼女はびっくりした顔で、
「どうしてシロイさんはそんな怖いことが思いつくんですか? 考えすぎじゃありません? 男の人は人間じゃないとでも思っているんですか?」
とか言われてものすごく「汚れちまつた悲しみに」気分になりました。


もちろん、女子校出身者の全員がここまで世間知らずなわけじゃありませんし、家庭での教育などで補えるとは思いますけれども、生の男性を知らないがゆえの過剰なピュアさみたいなものを実際に目の当たりにするとぞっとしますね。
ここまで極端な例じゃなくても、「男性のシタゴコロを想定する」こと自体を思いあがりであり、相手にとって失礼な行為であると思って警戒心過小になっていくのは、女子校出身者にはしばしばあることだと思っています。
その逆に、警戒心が過剰に暴走してしまうのもありがち。これ、短期的にみれば安心なんですけど、長期的に見ると警戒心過小な子よりもまずいときがあります。
過小な子は男性と知り合い、親しくなるチャンスを得やすいからです。生身の男性と実際に接する中で、自分の中の男性観を現実とすり合わせて行くことができます。実際、世の男性はなんだかんだいって紳士的な方のほうが多いと私は思っていますし、仲良くなったら即危険というケースはあまり多くないのではないでしょうか。(これもずれてる?)
過剰な子は、男性と親しくなりづらいため、現実に即した男性像というものを構築することが難しくなります。歪んだ他者イメージを抱くことは危険です。また、過剰な警戒心を抱いて生きることは、心を疲弊させます。疲れきったところにつけこむ人間というのはいますし、そうなってしまうと今までの過剰警戒はなんだったの、今思い切り騙されてんじゃんアンタ、みたいな話になるのもありがちです。


また、ちょっと意外かもしれませんが、女子校出身であるがゆえに同性にしてやられる場合もあります。
「男性の前だと態度がころっと変わる、裏表の激しい女性」というのが、当たり前ですが女子校にはいません。いたとしても、観測できません。
そうなるとまあ、そういうタイプの女性にいろんなかたちで翻弄されたりするんですよ。


そう考えると、女子校的価値観しか持たない、共学環境を知らずに育つというのは、いろいろな意味で危険なのです。
美醜のどちらであっても極端な容姿の主であれば女子校をすすめたいと私が思うのは、女子校的価値観しか知らない危険よりも、自己愛が適正でなくなり、セルフイメージが歪んでしまうのを恐れるからです。
ですが、人並みの容姿であれば、そこまで自己愛やセルフイメージが狂う危険性は高くない気がするので、現実社会全般に対してそれなりの警戒心を養っていってほしいと、そう思っているんですよね。


私は共学の高校に通ったことないから実態をよくわかっていないし、私の思う女子校的価値観というのは、あくまで母校の校風の話であって、他の女子校とは違う可能性もあるんですけどね。とにかく娘を女子校に行かせたいかどうか問題については、大体こんな風に考えているわけです。
あと、漠然となんですが、息子の場合はどのような容姿に生まれついたとしても、できれば共学に行かせたい、男子校には行かせたくないとなんとなく思っています。根拠を訊かれても自分でもわからないんですが。
男子校出身者の方で、男子校に行ってよかった、男子校オススメとか、そういう意見がありましたら、聞いてみたいなあとも思います。

夏休みの宿題と父親

この間の週末、ネットをふらふらしてると夏休みの宿題についての記事が目に入って、もうそんな時期かあと思ったわけなんですけれども、そういえば私は親に宿題の手伝いを頼んだりはあまりしませんでした。
むしろ逆に、隙あらば娘の宿題を奪っていこうとする父親に目を光らせていたという思い出があります。


私の父ネコヒコ(仮名)は美大出身だったせいもあるのか、とにかく器用で手先を使った作業が大好きでした。小さな電気炉で七宝を焼いたり、油絵も描いていましたし、休みの日には習字や篆刻(俳句や日本画のサインがわりに押されるハンコを彫ること)、刻字(木材などに文字を彫ること)などに一日中打ち込んだりしていました。
そんな彼にとって、娘の宿題はなにかとてもイイモノに見えたらしいです。
「いいなーいいなー、ちょっとおれもやってみたい。水面の部分、そこだけおれに塗らせて。山とか森はケイキがやっていいから」
などと謎の譲歩を見せつつなんとか関わろうとする父親。
私はといえば残念ながら器用な父にはちっとも似ず、むしろ学校でも気の毒がられるほどダントツに不器用でしたから、最初は喜んで手伝ってもらったのでした。


休み明け、私は学校でクラスメートに「ずるーい」と糾弾されました。
当たり前です。
ネコヒコは子供の宿題だからそれなりに下手っぽく仕上げるということを、あまり考えませんでした。というか単純に「自分もやりたい」という情熱をそのまま画用紙にぶつけてくれやがりましたので、結果として私の稚拙な絵は一部分だけ異様に達者な仕上がりとなり、学芸会のお芝居に紛れ込んで熱演する新劇の役者みたいな不調和ぶりが誰の目から見ても明らかだったのでした。
私はクラスメートの批判と自分の父親には子供の宿題を上手く手伝う機能がないという現実を厳粛に受け止め、次からはもう絶対父には頼まないということを心に誓いました。


しかしながらそれ以降、
「冬休みなら書き初めの宿題あるだろ? なに書くの? おれも書いていい?」
「夏休みの自由研究の代わりに工作とかどうかな? 木製のコースターを作ってみたんだけどさ」
父はやたらと娘の宿題に関わろうとするようになりました。
「もうお父さんには手伝ってもらえないよ。ズルって言われるもん」
私に拒絶された父は、妹にも同様の声かけを行ったのですが、
「絶対イヤ! お父さんは宿題に一切手出ししないで!」
姉の失敗を目の当たりにしている妹は、私よりよほど強硬な態度で父の介入を拒むのでした。


しょんぼりとうなだれる父の姿を見ているうちに私は、なんだか気の毒になってしまいました。
「わかった。じゃあ書き初めは自由課題で好きな字を書いていいって言われてるから、お父さんがお手本書いてよ」
目を輝かせる父。いきいきと書き初めする父。書き終わった半紙を並べながら「どれがいいと思う?」と訊く父。選出が終わったら「じゃあこれを学校に持ってけ」と胸を張る父。
「だからあ!」
怒る私。
「お父さんのは! もってけないって言ったでしょ! ズルでしょ! 私の宿題でしょこれは、お父さんのじゃないでしょ!」
「そうだけど……せっかく書いたし……先生の意見もききたいし……」
なんで先生の意見ききたいんだよ、あんた教え子じゃないだろうと言いたい気持ちをぐっとこらえ、私は言いました。
「じゃあ、私のじゃなくてお父さんが書いたってことで持ってくよ。それでもいい?」
「それでいい。いやー楽しみだなあ」
なにがどう楽しみなんだよ、と思いながらも私は事態がおさまったことに安堵しました。
というわけで私はそれ以降も父お手製の木製コースターだの工作だの書き初めだのを、「父のです。なんか持ってけっていうんです」と言って休み明けに持参するようになったのでした。
田舎の少人数の学校だったからでしょうか、先生たちも「へーそうかあ」というかんじで生あたたかく受け入れてくれました。内心では「変な父親だなあ」くらいには思っていたでしょうが、私もそう思っていましたから問題ではありません。


さて、私が中学生の時のこと。
私は生来の不器用さがたたり、美術の課題の進行が大幅に遅れていました。
課題というのは鏡の枠作りでした。木製の枠に下絵を描き彫刻刀で彫ってやすりをかけ、塗装したら鏡をはめて出来上がり、というものです。
この下絵描きと彫る段階で私はむちゃくちゃに手間取っており、他の生徒たちが七割がた彫り終わっているというのに三割くらいしかできていなかったのでした。
いい機会だから持ち帰って夏休み中できるだけ作業を進めて九割くらい彫り終わった状態で新学期に臨もうと、私はそう考えました。


夕食の片づけが終わると新聞を敷き、茶の間で彫りものを始める娘を見た父は、一気に色めき立ちました。
「なにそれ宿題? 手伝ってほしい?」
「おれ彫るの好きだなあ。おれのほうがいい彫刻刀持ってるしなあ」
「一つアイディアがあってな。との粉を塗る時、墨を混ぜて黒っぽくするんだよ。そのほうが重厚で渋くて、いい仕上がりになるぞう! これはもう決まりだな、との粉も墨もニスもあるし、ここはひとつ父に任せて……」
「だからあ!」
怒る私。
「ダメに決まってるでしょ、何オリジナリティ出そうとしてんのこれ学校の課題だよ!? 言われたとおりやればいいの、それができるかどうかが見られてんの! つうかこのど下手な下絵しかできない人間がいきなりそんなアーティスティックな工夫施したら、不自然すぎて即座にズルってバレるでしょうがあああああ!」
「で、でもそのほうが良い作品がさ……」
「作品の良さなんてどうでもいいんだよおおォォォォオ! ただ無難にこなしたいだけなんだよ私はさあアアァァァァ!」
「そっか……」
肩を落とす父ネコヒコ。
それからも父は私が彫りものをしているとその横に陣取り、羨ましそうにしながら
「ちょっとだけ、ちょっとだけだから彫らして。な? 今度の日曜一日だけでいいから!」
などと言い続けましたが、私は彼の願いを却下しました。
「言っとくけど、勝手に触んないでねコレ。絶対いじらないでね!」
私はそう念を押したのですが、「うん」と頷く父の顔には「隙あらば!」という気持ちがあふれていましたので、とても不安でした。
とはいえサラリマンとして毎日出勤しなければいけない父が、夏休み満喫中の中学生の目をかいくぐるチャンスはまずありません。この分ならなんとかなりそうだ、と油断していたある日のことです。
「そうだった私、今年は地域の弁論大会に出なきゃいけないんだった……」
よりによって大会は日曜開催でした。
「お父さん、今日私出かけて夕方まで帰れないけど、その隙に美術の課題を進めたりしたら、絶対ダメだよ?」
「うん、お前の言いたいことはわかってるぞ」
「絶対だよ! 私が困るんだからね!」
「娘を困らせたくはないなあ」
「信じたよ? 信じたからね! じゃあ、いってきます」
私もまだ若かったというか未熟だったというか、父親を疑っちゃわるいなという気持ちがどこかに残っていたんですよね。


「ただいまー」
「おう! おかえり!」
やたらと瞳を輝かせた父に出迎えられた瞬間、胸中で嫌な予感がふくらみました。
「なんじゃいこりゃあ!」
足元から崩れ落ちる私を見ながら、嬉しそうに父が話します。
「な、やっぱりとの粉を黒っぽくしたほうがいい仕上がりだろ? あとはこのまま数時間、明日の朝には乾いてるからさあ……」
「やるなって言ったじゃん! やっちゃダメって言ったじゃん! あんなに念押したのにお父さんのバカああ!」
「悪かった。でもどうしても我慢できなくてさ……」
「うるさいうるさい、どうすんのコレえ、二学期からどうすんの私ぃ」
「先生に相談したらどうだ。全部おれのせいにしていいよ」
「いいよじゃなくて、ほんとに100パーセントお父さんのせいですけど!?」
「うん、そうだ、その通りだな。だからその通り先生に話しなさい。正直は美徳だからな」


結論から言いますと、なんとかなりました。
過去に私が書き初めだのなんだのを「父が」と言って学校に持ってきた実績があったため、
「ほんとにやりたがりのお父さんなんだな」
と美術教師もあっさり納得してくれたのです。
クラスメートにはやっぱりちょっと「ずるーい」と言われましたけど、
「ずるい? なにが? みんなほんとに私と同じ目に遭いたい? こんなのバレるに決まってるし、下手したら先生に怒られて最初からやり直しもありえるなって覚悟したのに?」
と切り返しましたら、みな理解してくれました。
問題があるとしたら二学期、みんなが黙々と彫りものを進めている間、何もやることがなくて私が異常に手持無沙汰になってしまったことくらいですけど、まあそんなのはね。適当に暇つぶしすりゃーいいだけで。
というか、最初の気まずさを乗り越えてしまえばこれはこれで悪くなかったな、と思うようになりましたよね私も。ニガテな課題が気がつけば完成しちゃうなんて、魔法みたいというかドラえもんみたいというか、すべての子供が抱く叶わぬ願いじゃないですかそんなん。
それが結果的にかなり不本意な形とはいえ一応かなったと言えなくもないわけですから。


ただ一つ問題があるとしたら、
「フツー親って子供の不正を厳しく摘発する側じゃないの? 率先して不正をしたがる親って一体……」
という疑問を私が抱いてしまったことなわけですけど、
「どうせばれるんだからズルのうちにも入らないってことか? 私のトク全然ないもんな」
と考えることでこれも自己解決しました。
とりあえず
「親だって人間」
「人間だから完璧じゃないし聖人君子とも限らない」
「だからといって悪い親なわけでもない」
「人生は面白ければおおむねオッケー。物事はなんでも考えよう」
ということを夏休みの宿題とそれに伴う不正によって、私は学んだように思います。
お父さん、いろいろ文句言いたいところはあるけれど、それでも一応ありがとう。

妊娠七ヶ月

はじめに

昔きいたえらく気になるんだけどいまだ未消化みたいなお話を唐突に思い出したので、書きます。
友人から聞いたものですので、私自身は登場人物の誰とも面識をもちません。又聞きゆえの曖昧な部分もございますが、ご容赦ください。あと、いつものことながら脚色はしております。フィクションと思ってお読みください。

本文

ニエ(仮名)さんは長く付き合っていた恋人と結婚することとなりました。
まだ幼い頃に母親を亡くした息子を、彼のお父さんは男手ひとつで育てました。
ニエさんは独身時代に何度も彼の実家に遊びに行ったことがあり、気さくで優しいおとうさんに可愛がられていました。
ですから、
「これまで苦労をかけた親父をひとりにしたくない。少しでも恩返しをしたい」
彼がそう言った時、ニエさんは素直に賛同して同居を決めたのです。
舅となった彼のおとうさんは相変わらず気さくで親切、義実家とのありがちな軋轢も発生せず、新生活はきわめてスムーズに滑り出しました。
しばらくしてニエさんは妊娠しました。夫と舅に助けられながら順調に過ごし、妊娠七ヶ月に入ったところで、ニエさんは仕事をやめて家で過ごすようになりました。


掃除機をかけているとき、ニエさんは最初の違和感に気付きました。
ニエさんたちの住まいは昔ながらの日本家屋で、襖や障子で仕切られた各部屋が廊下と縁側によって繋がれています。
舅の居室は家の中央部にあって、三方の襖をあけると家全体が見渡せるようになっていました。
洗面所、廊下、若夫婦の居室、居間。順番に掃除機をかけていくあいだ、ニエさんはずっと見られているような気がしていました。部屋の真ん中に座って新聞を読んでいる舅は少しずつ角度を変えて、常にニエさんのいるほうを向いているように思えたのです。
今までおとうさんの視線が気になったことなんてなかったのに、妊娠してナーバスになってるのかな。
ニエさんはそう結論付けたのですが、舅の凝視はそれからも続きました。
舅はニエさんのいるほうの襖を開けて、じっとこちらを見ているのです。


「珍しいんだよ」
夫は簡単に片付けました。
「おふくろがいなくなってからずっと、家の中に女の人がいたことがないからな。ついつい見ちゃうんだろう」
ニエさんが気になっているのは視線だけではありませんでした。
「どうされました? なにか気になります?」
「お腹がすかれましたか? おひるにしましょうか?」
最初のうちニエさんは視線を感じるたびに、舅に話しかけていたのです。
ですが舅は人が変わったように黙り込み、返事もせずただじろじろと、ニエさんの全身を眺めまわすだけなのでした。
ニエさんが更に話しかけると舅はぴしゃりと襖を閉めます。
そして、しばらくするとまた襖をあけて、凝視が再開されるのでした。
どう説明すれば夫の気持ちを傷つけずに話ができるか、ニエさんはずいぶん悩みました。尊敬する父親を貶めるようなことを、夫に言いたくなかったのです。


夫が不在の間は必要最低限の用事を終えたら襖をきっちりと閉め、部屋ににこもって過ごそう。ニエさんはそう決めました。
数十分後、突然襖があけられました。振り返るとそこには舅が立っており、座っているニエさんを見下ろしています。
「どうされました?」
「なにかご用ですか?」
「お願いします、なにか喋ってください」
何を言っても黙ったままの舅に話しかけるうち、ついにニエさんは泣きだしてしまいました。すると舅は自分の居室に戻り、再びニエさんの方をじっと見つめるのでした。
それからというもの、ニエさんが部屋の襖をしめると、舅がやってきてその襖をあけることが続き、かえってストレスとなりましたので、ニエさんは諦めて襖をすべて開けはなって過ごすことにしました。
鍵のかかるドアが欲しいと訴えても、夫には理解してもらえません。
やがてニエさん自身、
「もしも鍵のかかったドアをがたがた揺さぶられたりしたらどうしよう」
「無理やりドアを開けられたらどうしよう」
と考えておそろしくなってしまいましたので、それ以上ドアを欲しがるのはやめました。


夫が帰宅して三人が揃うと、舅は以前と同様によく笑い、よく喋ります。ですからニエさんの不安は夫に伝わらないのでした。
転んだりしたらたいへんだから、心配して目を離せないだけだろう。
日中二人きりになるのがはじめてだから、緊張して話が出来ないのかもしれない。
妊婦が情緒不安定になるのはよくあることだからね。ニエは今、何でもないことが気になってしまう状態なんだよ。
静かに諭す夫の声を聞くうちに、ニエさんはだんだんおかしいのは自分だったのだ、自分こそが諸悪の根源なのだと、思うようになりました。
さらに数日が経つと、舅が部屋を出て廊下をうろうろ歩きまわり、ニエさんと頻繁にすれ違ったり、後ろから追い越して行ったりするようになりました。
狭い廊下でニエさんの体をかすめるようにして勢い良く歩くので、ニエさんはふらついててバランスを崩してしまったりします。何度もおそろしい思いをしましたが、転びそうになるたび舅が素早く手を伸ばして彼女の体を掴むので、大事には至らないのでした。


「なんかそれ、若い女に触りたくてわざとぶつかりそうになりながら歩いているみたいに聞こえるんだけど」
私の言葉に、友人はため息をつきました。
「まあかなり嫌な状況だよねえ。ニエちゃんの様子もちょっとおかしくてさ。この間会ったら、全然話をしなくなってて。顔色もすっごく悪いし。どうしたの、何があったのって聞いても『なんでもないの私が悪いの』ばっかりでさ。ニエちゃん、前は『お舅さんが怖い』って普通に言ってたのにさ。今の話もけっこう苦労して聞き出したんだよね」
「嫌な話だなあ。里帰り出産すればいいのにその人」
「私もそれすすめてみた。けど、旦那さんがいい顔しないんだって。それにニエちゃんの実家って今の家と同じ町内にあるからさ。わざわざ帰るような距離じゃないってのもあるよね」
「だったら、お母さんに日中来てもらったりはできないの?」
「それが駄目なの、ニエちゃんの実家は今ちょっと非常事態なの。いろいろ重なって、三人くらい入院しててさ。家族全員が駆り出されて交代であちこちの病院に行ってて。ニエちゃんは妊娠中だからそういうのは免除されてるんだけど、それが心苦しいんだって。だからこれ以上家族に迷惑かけるようなことはしたくないって、そればっかり」
「なんて間の悪い。でもさあ、そのニエさんて人も非常事態だと思うんだけど。旦那さんの対応も酷いよね、もっと真剣に対処してほしい」
「だけど、実際そのお舅さんがしてることって、実体がないんだよね。ひたすらじっと見てるだけでしょ。廊下でしょっちゅうすれ違うんですとか訴えても、一緒に住んでりゃそりゃそうだろって言われそうだし。転びそうになると体を掴むってのも、当たり前っちゃ当たり前だよね。妊婦転ばせるわけにいかないんだから。だから全部、言い訳できちゃうっていうか、正当な理由が向こうにはあるわけ」
「襖を勝手に開けるのはヘンだよ」
「それだって、ニエちゃんの様子がおかしかったから心配になって見に行ったとか、いくらでも理由つけられるじゃない」
「そりゃ一回一回はそうかもしれないけど、何回もあるのはおかしいって。あ、そうだ。録音とか録画とか、そういうのはダメなの? 一日何回も襖を開けに来る様子とか見せれば、旦那さんもわかってくれるんじゃない?」
「家中の襖があけ放たれた環境で常に見張られながら、どうやって隠しカメラをセットするの?」
「録画は無理か。でもレコーダーで会話を録音するくらいなら……」
「だから、お舅さんは喋らないんだって。録音できるのはニエちゃんの声だけだよ。誰も返事をしないのに、ひたすら話しかけてる独り言みたいなのが録れるだけ」
「あ、それはまずい。再生したら逆にニエさんがおかしい人っぽく見られるだけだ」
「そういうことです。とにかく、次に会ったらもう一回、里帰り出産を強くすすめてみる」


それからニエさんがどうなったのか、私は聞いていません。もうとっくに子供は生まれて、幼稚園の年長さんくらいにはなっているはずなのですが。
学生時代は毎日のように顔を合わせていた友人であっても、社会人になるとなかなか会えなくなるのが普通です。
二年ぶりとか三年ぶりとかに会うとかって、全然珍しくないです。
顔を合わせればお互いの近況確認に忙しくなっちゃうし、他に話したいこといっぱいあるし。
そういうときに昔の、私自身は縁もゆかりもない知らない女性の話をわざわざひっぱり出して聞くのはなんか変な気がしちゃうんですよね。大体とっくの昔になんらかの形で決着はついちゃっているんでしょうし。
こうなってしまうと、もう今更続きをきけないのです。
なのに、時々何かの拍子にふっと、板張りの廊下に掃除機を掛けている若い女性の姿が思い浮かんで、
「そういえばニエさんてどうなったんだろう……?」
って気になっちゃうんですよね。

まさかとは思いますが、この「弟」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。

これを読んで「ゾクっとした」などという感想は多いんですが、私もまた、ちょっと別な角度でゾクっとしまして。
あの質問に出てくる「弟」と、ニエさんの話の「舅」はなんとなく似ている気がするんです。
見られている気がするって、すごくポピュラーな被害妄想の一つだったりしますし。
そうすると、初めてこの話を聞いた時には
「自分の父親を悪く思いたくないのはわかるけど、妻の不安を一顧だにしない夫が頼りないなー」
などと感じたんですけど、その感想もちょっと変わってきまして、
「夫の言葉こそが正しくて、ほんとにニエさんが不安定になりつつあったのか?」
などと思ったりするときもあるんです。だとしても、妻が苦しんでいることに変わりはないのだから、ちゃんとそこに向き合おうよとは思いますけどね。
一方で。
ニエさんが不安定になりつつあるのだと、周囲にそう思わせてしまえば、お舅さんはやりたい放題なんですよね。そのための段階を踏んだ巧妙な手口に思えるときもあって、そうすると妄想かもと疑ったことが申し訳ないような気持ちになります。
妄想説と現実説、ニエさんにとっては一体どちらがマシなのでしょうね。いずれにせよ彼女は追いつめられ、辛い気持ちを味わっていた、そのことだけが確かです。
とりあえずニエさんが無事に出産を迎え、今現在は母子ともに健やかに過ごしていますように。

『きのう何食べた?』の感想みたいな

きのう何食べた?』が面白いマンガであり、レシピ本としても優れているのは有名なハナシですが、最近私はあのマンガがもっと特殊なジャンルのような気がしてきました。
違うんです、BLだとかラブストーリーとしても読めるとか、そういうのでもないんです。


私にとって『きのう何食べた?』は知人マンガなんです。そんなジャンルないけど。知人の近況報告を聞くために単行本買うかんじというか。1巻を読み返すと、アルバムをめくっているみたいな気持になるというか。
私にはシロさんとケンジはもう、漫画の中の人じゃない気がするんです。なんつーか、ほとんど知り合いみたいなもんというか。
「今日はハンバーグかー。作るの大変じゃなかった?」
「玉ねぎ炒めないやつだから、そうでもなかった」
「あ、シロさんのやつか。あの人のレシピはほんと使えるの多いわ」
「料理うまいっていうか、ほんとに作るの好きなんだよな。まめだし、感心するわ」
みたいな、横で聞いてたら知り合いの噂話をしてるとしか思えないかんじで、我が家ではシロさんとケンジの話が出ます。
そもそも最初の4巻くらいまでの間は、我が家ではふたりとも「シロさん」とはいえても「ケンジ」とは言えませんでした。なぜなら「ケンジは年上だし」と思っていたのです。なにその距離感。漫画の中だから関係ないのに。
それがだんだん付き合いが長くなって、あの二人との親近感が勝手にコチラ側で増した結果「そろそろいいか」という気持ちで「ケンジ」と呼ぶようになりました。もう今更「ケンジさん」もよそよそしいので。
だからほんと、シロさんの実家にケンジと二人でいく回とか、「よかったね」と二人で言い合いましたよね。「ケンジ報われたね」とか「シロさんも変わったんだな」とか、そんな風に。
感情移入しまくった、いわゆる普通のマンガへの感想とは違うんですよ。我がことのように鮮烈な思いがほとばしったりはしないんです。知り合いの話をきいたときのような、しみじみとした感慨がじんわりと湧くんですよ、『きのう何食べた?』は。
「料理を中心とした日常生活の書き込みがリアルで細かい」
「地面に足のついた非常に現実的な展開だけで話が進む」
「時間経過が現実と同じ」
などの要素がここまで身近に感じさせてくれるんででしょうけど、それにしても独特な気持ちにさせられます。


神は細部に宿り給うと言いますが、『きのう何食べた?』はあらゆる細部に濃密なリアリティが宿っています。
全てのレシピは献立単位で考えられていて、「煮物を作っている間に焼き物を作る」、「出来たてを供する必要のない料理は先に用意する」、「しらたきを茹でた鍋でそのまま肉じゃがを作れば洗いものが減る」、「魚を焼いたグリルは食後に洗うとおっくうになるから、使ったらすぐ洗う」、「醤油、酒、水の順で測れば計量カップがすすがれて洗う手間が省ける」など、台所生活全般についての手順がそこにはあります。
それはレシピ本や料理番組から教わることはできないものです。こうすべきだというお手本ともまた違う、台所である程度の時間を過ごした人間が自分自身の好みや癖を反映させて身につけた極めて個人的な生活上の知恵としかいえないものです。魚焼きグリルを鼻歌交じりに洗うというたった一コマから、私はシロさんの人となり、台所で過ごした時間の長さを、強烈に感じ取ります。
過去のトラウマにまつわる幼少期のエピソードとか。数ページにわたって続くモノローグとか。キャラクタの情報というのはしばしばそういう方法で、直接的に読み手側に注ぎ込まれます。また、そういう風に注ぎ込まれるからこそ私たちは、現実の人間よりもずっと深く、物語の登場人物を知ったりすることができるわけですが。
きのう何食べた?』のひたすら積み上げられた細かな事柄によってキャラクタの内面を感じるというのは、私たちが現実の人間に対しての理解を深めていくのとほとんど同じやりかたです。
(『きのう何食べた?』においてモノローグや回想がまったく入らないわけではありません。ただかなり控えめです)


もともとよしながふみ先生は、化粧や服装やちょっとした言葉遣いや仕草で、登場人物の個性や好みの違いを表現するのが上手いのですが、登場人物一人ひとりの食の好みや作る料理の差もやはり絶妙に表現されています。
シロさんはけっこう上品な好みで、さっぱり和食が好き。魚の臭み抜きなどもかなりしっかりおこなう。
ケンジはシロさんよりがっつりしたのが好き。だけど同年代の男性に比べればややさっぱり。甘いものも好きで、じゃっかん女性っぽい食の好み。
佳代子さんの料理はシロさんのような自分の好みに特化したものではなく、あくまで家族のために長年作ったのだなということがわかる味。間口が広く、レシピの省力化がすごい。
シロさんのお母さんもいかにも「一家の母」という料理を作るのですが、佳代子さんとはちょっと趣が異なります。佳代子さんが女児の母ならば、こちらは男児の母。ボリュームたっぷりでがっつりめの、思春期の男子を養うためにはこのくらいやらないと、というご飯を作ってくれます。
そのため、若い頃はいざ知らず今となってはさっぱり和食好みのシロさんが帰省すると、お母さんは揚げ物など大量に作りすぎて食べきれなくなったりしてるのですが、こういう「実家を出て行った子供の変化を親が把握していない」描写もまたリアルですよね。
ジルベールと小日向さんカップルの、「あまり地道ではないセレブっぽい暮らしぶり」も服飾や食材の描写で伝わってくるし。ナルシストと言われつつシロさんが実はそこまで服にこだわり強くないのも読んでいればわかるし。


たとえばドラゴンボールを読んだとき、悟空やベジータは私たちの世界にはいないよな、という感覚になります。ドラゴンボール時空は私たちの世界と物理法則が同じかどうかすら怪しい、こことは違う、遠い場所です。
スラムダンクなんかは私たちの世界にぐっと近づいている気がしますが、それでもやっぱり微妙に違うスラムダンク時空を感じさせるんですよね。
それなのに『きのう何食べた?』には「何食べ時空」がある気がしないんですよね。だってその時空ここと一緒のやつでしょ、という気がするわけです。そんなわけないのに。だってどう考えてもパリス・ヒルトンとかロックフェラー一族よりシロさんとケンジのほうが身近だし同じ時空の民って気がしてしまうのです。
普段の私は、マンガの中の人たちは年をとらない気がしています。だけどシロさんとケンジに関しては違う。彼らは私たちと同じペースで年をとります。
鏡を見て昔と同じではない自分を発見するように、単行本を買うたびに私は、昔と同じではない彼らと再会します。よしながふみの筆はわずかずつではあっても確実な加齢のしるしを、登場人物に与えます。それは時々容赦のなさを感じさせるんですけど、それもまたリアルです。


きのう何食べた?』の登場人物は全員、冒険者でも勇者でも英雄でも復讐者でも異能者でもなく、平凡な一人の生活者に過ぎません。
淡々とした日常が流れていく中で、彼らの身の上にたまにドラマチックな出来事が起きる時もあります。それはたぶん当事者にとってはかなりのオオゴトだったりするのでしょうが、世間から見ればありふれた平凡な出来事でしかなかったりもします。
そして彼らは、そのありふれているけれど特別なドラマを、平凡な生活者として乗り切ります。
父親の癌の手術に付き添う前日、シロさんは留守番するケンジのために二日分の食事を作ります。いつもと同じように、栄養バランスとコストパフォーマンスを考えながら。
一昨年、実父の告別式の準備を進めながら私たち家族は、長い時間台所に立ちました。お線香を上げにくるお客様のために茶葉を補充してお湯を沸かしてお茶菓子を出して、合間合間に自分たちの食事の用意もしなくてはいけなくて。悲しくて辛くて、だけど食べ物のことを考えずに一日を過ごすことはできませんでした。これまで生きてきた日常と地続きになった生活の手順を積み上げながら、時間を過ごすしかありませんでした。
たぶんそれが、生活者として生きるということなのです。そして生活の一番基本的な部分に、食があります。
シロさんとケンジはドラマチックな出来事にヒロイックに立ち向かうのではなく、生活を積み重ねることで生き延びます。私たちと同じように。だから彼らは、豪勢すぎず美味すぎない日常のごはんを、大事にだいじに食べるのです。


だから私は、やっぱり彼らをどうして遠い世界の漫画の中の人のようには思えない。近い時間を近い場所で生きている、知人のように感じてしまうのでした。